研究メモ

人間的な、余りに人間的な

人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。 ――芥川龍之介「侏儒の言葉」

歴史は繰り返す

最近、もう一度一から近代文学の歴史を一から勉強し直そうと、文学史の教科書とか読んでいる。歴史は繰り返すとは、よく言われることだが、勉強してみるとやはりこれは真実をついていて、人間の面白さを感じる。 今から100年前というと1907年になるが、これ…

「僕はこれでも君から尊敬されたいんだ」

漱石の『明暗』に、貧乏で社会主義的な思想を持つ「小林」という不気味な男がいる。今風に言うなら「負け組」にあたる人物とでも言おうか。ともかく、漱石の作品に似合わないキャラクターで、研究者にはウケがいいというか割と注目されている登場人物だ。そ…

物語の原型?

「内田樹の研究室: 第一回ヨンヨン学会」のエントリーが興味深い。正確には、ここで語られている「冬ソナ」論が面白いのではなく、その分析に「能」を引き合いに出して比較していることが興味深いのである。 きちんと調べたわけではないので、単なる勘違いか…

村上春樹に対する憎しみと愛情

内田樹氏が、ブログで先の村上春樹による安原顯批判に触れている*1。安原顯の村上春樹(あるいは文学)に対する愛憎について書かれてあり、興味深い内容であった。この文章のなかで、私が引っかかったのは、次の箇所である。 死を覚悟した批評家が最後にした仕…

日本語の問題なのか?

石川忠司の『現代小説のレッスン』(ISBN:406149791X)は現代小説の優れた批評で、参考になることが多い本である。ところで、最近この本を読んでいて気になることがあった。 それは、阿部和重について論じている箇所である。そこで、石川は阿部の小説に出て来…

19世紀の諸問題

『新潮』2005年5月号の蓮實重彦+浅田彰「ゴダールとストローブ=ユイレの新しさ」をコピーして読んでみた。ゴダールの新作『ノートル・ミュージック』、ストローブ=ユイレの『ルーブル美術館への訪問』が見てみたい。ゴダールは公開されたら絶対に見よう。…

バーバ『文化の場所』のメモ

『文化の場所』より、いくつか気になる箇所をメモしておこう。 「多から一を」――これは近代国民国家における政治社会の基礎をなす命題(民族の単一性の空間的表現)だが、このイメージを興味深く表すことにかけては、文学批評の多様な言語に勝るものはない。(p…

アナーキズムについて知りたい

遅ればせながら、『現代思想』2004年5月号の「アナーキズム特集」を少し読む。吉田喜重の映画を見て以来、アナーキズムについて知りたいと思うようになっていたので、この特集号はかなり魅力的だ。 アナーキズムと日本映画では、映画史研究の平沢剛氏が「日…

「この映画を見たい!」と思わせる文章(補足)

この間の日記*1で、私にとって蓮實重彦の批評は、「この映画を見たい!」と思わせるものなのだという主旨のことを書いた。これは私が日頃から感じていた印象論を記したにすぎないのだが、仲俣暁生氏のはてなダイアリーの「ぼくが映画を観ない理由」*2という…

『文学界』2005年2月号

要チェック→「特集 映画の悦楽」 ・蓮實重彦「身振りの雄弁――ジョン・フォードと「投げる」こと」(*ジョン・フォード論。きっと単行本になるのだろうけど、読んでおくか。) ・小津安二郎「文学覚書」(*シンガポール時代のこと。) ・阿部和重「インコプ…

小津映画の俳優たち

小津の映画には、おなじみの俳優がいる。たとえば有名なところでは、笠智衆とか原節子だろうか。佐分利信もそうだし、三宅邦子も忘れてはいけない。それから中村伸郎と北竜二の二人も味がある。中村伸郎は、『東京物語』では、杉村春子のちょっと頼りのない…

中国における村上春樹

中国で村上春樹が爆発的人気、経済成長が背景 代表作の「ノルウェイの森」はこれまでに100万部以上が売れた。こうした「村上春樹(中国語読みでツン シャン チュン シュー)現象」を支えるのは、都市部の若い世代。急速な経済発展に伴って生まれた「小資…

言語の問題

◆『比較文學研究』84号、2004年 「特輯 共通言語・支配言語と比較文学」 この特集には、いろいろ考えることがあるのだけど、とりあえず以下の二つの論文は読んでおきたい。 ・大澤吉博「特輯「共通言語・支配言語と比較文学」に寄せて」 ・平川祐弘「覇権的…

ローカルな話題なのだけど、今、テレビ大阪で『めぞん一刻』が再放送されている。この作品は、すごく好きなマンガの一つで、昔から繰り返し読んできたマンガだ。個人的にはかなり思い入れの強い作品なのである。 久しぶりに、テレビで『めぞん一刻』を見て、…

特集=マンガ

『ユリイカ』特集=マンガはここにある・作家ファイル45、2003年11月(35巻15号) 鈴木謙介「どうして恋をするだけでは幸せになれないのか 矢沢あいにおけるイノセント」 夏目房之介「マンガは誰のものか?」 『ユリイカ』でのマンガ特集。面白そうなので、い…

越境の快楽から意味の消滅へ

松浦寿輝「越境の快楽から意味の消滅へ」(書評:多和田葉子『エクソフォニー』、『新潮』2003年12月号pp.304-305) いきなり冒頭部分に気が引かれる。こんなふうに書評を書き始めている。 「詩人とは、国語という樹木の枝の上で歌う小鳥なのだ」とかつてコ…

アイデンティティに関して

アイデンティティに関して、次のような言葉は示唆的だと思う。 《「現実の日本に戻ったら、想像の国が永久にこわれてホームレスになってしまうのではないかと、強い恐怖を持ったものです。作家になったのも、この貴重な国をとどめておくためだった、といって…

ポストモダン的な言い方で、よく用いられるのが「〜の発見」というのがある。この言い方を、生真面目に受け取る人もいるようで、必ず批判の一つに、「いや、〜は依然から存在していた云々」と言って歴史的遡行をし始めてしまう。 歴史を遡って起源を見つけ出…

文学者の旅行記、というのも文学研究ではしばしば研究対象に取り上げられる。旅先で、何を見て、何を感じ、何を考えたのか。そんなことを分析することで、一つの作家論が出来るし、他の作家との比較を通じて、たとえば文学者の異文化接触の問題などを考える…

アルチュセール

以下、私的なメモ。 ◆浅田彰「アルチュセール派イデオロギー論の再検討」(『思想』707号、1983年5月) アルチュセールは、上部構造の介入という曖昧な把握を明確にするために、これを国家装置(国家の抑圧装置+国家のイデオロギー装置)の働きとして捉え直…