復本一郎編『正岡子規ベースボール文集』

正岡子規が野球に熱中していたことは、よく知られている。かつては「野球」の訳語は子規によるものと誤解されてもいた。(子規は「野球(のぼーる)」と本名をもじって使っていた。ベースボールを「野球」と訳したのは中馬庚<ちゅうまんかなえ>だそうだ。)

そんな子規のベースボールに関係した俳句や随筆などを集めている。けっして体が丈夫ではなかった子規であるが、ベースボールだけは夢中になっていた。ベースボールへの強い思いが感じられる。ベースボールの歌にはこんなものがある。

久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
若人のすなる遊びはさはにあれどベースボール如く者はあらじ

本当に子規はベースボールが好きだったことが伝わってくる。

今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな

これなどは、フルベースになって点が入るかは入らないのか、その緊迫感がよくわかる。今も昔も変わらない。
子規はベースボールの説明も書いている。

ベースボールにはただ一個の球あるのみ。そして球は常に防者の手にあり。この球こそ、この遊戯の中心となる者にして球の行くところすなはち遊戯の中心なり。球は常に動くゆゑ遊戯の中心も常に動く。

ボールを中心に刻一刻と状況が変化する。その変化に対応するために常にボールを見続けていなければならない。ダイナミックなところに、子規はベースボールの特質と捉えており、そこに面白さを感じていたのだろう。このようなベースボールの特質は、子規の写生とも通じるところがあるかもしれない。ベースボールは子規の思想・感性に大いに影響を与えている。