ポストモダン的な言い方で、よく用いられるのが「〜の発見」というのがある。この言い方を、生真面目に受け取る人もいるようで、必ず批判の一つに、「いや、〜は依然から存在していた云々」と言って歴史的遡行をし始めてしまう。
歴史を遡って起源を見つけ出したり、過去に存在したことを確認することも研究上大切なことだが、やっても仕方ないこともある。というのも「〜の発見」があった、などと言う時、問題になっているのは、意味の変容であったり、あるシニフィアンシニフィアンとの新たな接合の瞬間が話題にされているはずだ。たとえば、「恋愛」というのが近代に「発見」された、というのは近代以前に「恋愛」が存在していなかった、ということを述べているのではなくて、「恋愛」の意味が変化したこと、それによって「恋愛」の位置のズレが生じたことの重要性を強調しているだけであって、ここで生真面目に過去を辿って「恋愛」を見つけ出し、近代以前にも「恋愛」があったではないか、と批判してもポイントをはずしていると思う。
こんなことをメモしておくのは、これらを踏まえておかないとフーコーの本を読み間違える心配があると思われるので。