物語の原型?

内田樹の研究室: 第一回ヨンヨン学会」のエントリーが興味深い。正確には、ここで語られている「冬ソナ」論が面白いのではなく、その分析に「能」を引き合いに出して比較していることが興味深いのである。
きちんと調べたわけではないので、単なる勘違いかもしれないが、内田氏は物語を論じるときにしばしば「能」を引き合いにだすことが多くないか。このエントリーでは、「あまり知られていないことだが(私が昨日思いついたのだから)、『冬ソナ』は複式夢幻能と同一の劇的構成を持っている」と主張する。そして、以下「冬ソナ」を能に見立てて読み解いている。――
内田氏に限らず、文芸評論を読んでいると、「〜〜は能と同じ構成である」といった分析を見かけることがある。「死者」とか「夢」が主題になる物語では、能の形式と比較すると案外うまく分析できるのかもしれない*1。内田氏の分析が面白いのは、能の形式が何も日本の文芸のみならず、外国の作品でもあてはめることができるという点だ。つまり、能というものは、物語の原型なのではないか。それとも、能が持つ抽象性がどんな物語にもあてはめやすくしているだけなのだろうか。ともあれ、内田氏の文章を読んでいたら、能の形式がなんとなく普遍的なものに思えてきた*2

*1:レポートのテクニックとして利用できるかもしれない。 例:『ノルウェイの森』は能と同じ構成であるとして、むりやり登場人物をワキやシテにあてはめて論じるとか、他にもいくらでもできそう。

*2:私は、能については何の知識もないので、まったくいい加減なことを書いているのかもしれない。