小津映画の俳優たち

小津の映画には、おなじみの俳優がいる。たとえば有名なところでは、笠智衆とか原節子だろうか。佐分利信もそうだし、三宅邦子も忘れてはいけない。それから中村伸郎と北竜二の二人も味がある。中村伸郎は、『東京物語』では、杉村春子のちょっと頼りのない亭主役だったけど、その後の作品では、ちょっとインテリ風なキザな感じのおじさんを演じていて、独特のしゃべり方が良い。
最近気になっている俳優は、なんといっても高橋とよだ。『晩春』では、お手伝いさん役で、たしか服部の結婚写真を勝手に見てしまったりするお茶目な人だ。『東京物語』では、冒頭とラストの場面で、隣家のおばさんとして登場し、笠智衆とあいさつを交わす役をしていた。『お早よう』では、隣家の主婦を演じ、だんなのおならの音に反応して「あんた、呼んだ」と何度もくり返すユーモラスな役だった。『秋刀魚の味』では、笠智衆中村伸郎、北竜二たちの聖域といえる小料理屋「わかまつ」の女将さん役として活躍する。丸々した顔と体型が、人の良さそうなおばさんという雰囲気を漂わせ、小津映画のコミカルな部分を担う重要な俳優である。
こうして並べてみると、彼女の役柄はたいてい境界線上に位置する人物なのだ、ということに気がつく。たとえば『晩春』のお手伝いさんとは、まるで家族の一員のように振舞うが、もちろん家族ではない。かといって、完全に外部の赤の他人だというわけではない。いわば家の「内」と「外」の曖昧な境界にいる。この曖昧な位置にある人物は、もちろん視覚的にも表象される。
東京物語』で、笠智衆とあいさつを交わすために家の窓(=家の境界)から顔を出すし、『秋刀魚の味』で小料理屋の女将は、男たちが飲み食いするお座敷にはけっして侵入せず、その入り口に常に立って男たちの相手をする。ここでも、「内」と「外」の境界上に立っているのが高橋とよなのだ。彼女は役柄が変化しても、つねに映画内では同じ位置に立ち、同じような振舞いをしている。家の「内」と「外」の境界線に立ち、そして「内」と「外」を媒介する役目を担う。考えてみると、非常に面白い人物なのだ。この人物から、何か小津論が書けないだろうか、などと考えている。