バーバ『文化の場所』のメモ

『文化の場所』より、いくつか気になる箇所をメモしておこう。

「多から一を」――これは近代国民国家における政治社会の基礎をなす命題(民族の単一性の空間的表現)だが、このイメージを興味深く表すことにかけては、文学批評の多様な言語に勝るものはない。(p.245)

こう言ってもらえると、文学研究者はまだ生き残る余地があるのかなと思う。が、しかし、はたしてこの言葉を額面通り受けとってもよいのかどうか…。

学際性とは、教育的スタンスと遂行的スタンスとの間のアンビヴァレントな運動のうちに生起する、文化的差異の記号を認知することである。さまざまな内容や文脈を寄せ集めて調和させることでは決してない。そんなことをしても、既存の学問的象徴的現前の実定性を強化することになるだけだ。(p.276)

これは、その通りだと思う。大学関係者は、肝に銘じておく必要があるのだろう。

植民地人、旧植民地人、移住者、少数者――これらさまよえる人々は、国民文化と同音の言説の「故郷(Heim)」に閉じこめられてはいない。彼ら彼女ら自身が、近代国民国家の国境を異化する動く境界の目印である。彼ら彼女らはマルクスの言う移住労働者の予備軍であり、言語の外来性を語ることによって同音という愛国的な声に裂け目を入れ、ニーチェのいわゆる隠喩、換喩、擬人化の機動部隊となる。(p.278)

ここに目を付けるのが、ポストコロニアル批評なのだ。この箇所は、文学の分析をする時に使えそう。覚えておこう。

ポストコロニアル批評とは、文化表象の不平等で不均等な諸力が、近代世界秩序の内部における政治的社会的権威をめざす闘争に関わってきたことの証しである。(p.289)

端的にこういうことなのだろう。