ローカルな話題なのだけど、今、テレビ大阪で『めぞん一刻』が再放送されている。この作品は、すごく好きなマンガの一つで、昔から繰り返し読んできたマンガだ。個人的にはかなり思い入れの強い作品なのである。
久しぶりに、テレビで『めぞん一刻』を見て、またいろいろ考えることがあったので、メモ帳風に書き留めておく。


時間のテーマ
高橋留美子の作品は、よく言われていることだが、時間がまるで停止してしまっているかのように、日常生活がただ反復*1されるのが特徴と言える。時間のないユートピア的な世界が舞台に選ばれるだろう。このテーマはもちろん『めぞん一刻』でも受け継がれている。そもそもタイトルに『一刻』とあるだけに、時が主題を成していることは明らかである。そして、時間といえば、この作品の舞台となる古いアパート「一刻館」のシンボルである大きな古時計はすでに時を刻まなくなって久しい。
この作品の開始当初は、高橋留美子作品らしく、日常生活の反復を描いていた。つまり、五代君と管理人の響子さんを中心とした住人のエピソードが繰り返されていくスタイルである。しかしながら、この作品が一方で恋愛物語という性格をもっていることを考えると、こうした時間の停止している世界とは齟齬を来すはずだ。なぜなら、恋愛物語は、出会いがあり、交流を深め、やがて結婚に至るといった「はじまり」と「終わり」を持つリニアな時間が流れなければ物語が破綻してしまうかもしれない。ただ単に住人間の戯れを描いているだけでは済まなくなってくる。


響子=時間の停止
ここで、ヒロインの響子さんについて振り返ってみたい。響子さんは未亡人という設定で、高校時代に出会った音無先生と結婚したが、すぐに夫を失ってしまう。そんな過去を持って、音無家が管理していた一刻館の管理人としてやってくる。
大雑把に論じてみると、時間の停止した空間である一刻館という建物は、響子さんの内面を象徴していると言える。響子さんは、夫である惣一郎を亡くしたとき、その時点で時が止まってしまったのだ。なぜ、響子さんが時を止めてしまったかと言えば、惣一郎という愛する人を失ったショックや、さらに深い理由として、惣一郎を永遠に忘れまいとする強い思いがあるからだろう。時は残酷にも記憶を風化させる。響子さんが最も恐れていたのは、惣一郎の記憶がだんだんと薄らいでいくことであったことを思い出しておこう。このように考えると、響子さんが時の無い一刻館にやってきたのも頷けることだ*2。したがって、物語は惣一郎さんが亡くなった時点で時間を止めてしまった響子さんが、新たな時間を取り戻すまでの過程を描いていると解釈できる。


五代=リニアの時間
もちろん、響子さんに再び時間を与えるのは五代君である。五代君は、大学受験のために上京して一刻館に住み始める。そして大学に合格し、やがていろいろありながらも卒業。そして就職する。五代君にはきちんとリニアな時間が流れている。単に響子さんとの戯れを描く作品であったならば、たとえば『サザエさん』のカツオや『ちびまる子ちゃん』のまる子のように、永遠に大学生という設定でも良かったのだろう。
つまり、一刻館の住人で唯一、五代君だけが無時間的な世界の住人ではなく、現実世界を生きていた人物であることが理解できる。したがって、恋愛物語として『めぞん一刻』は、戯れの反復にとどまらずに五代君と響子さんの恋愛→結婚という、いわば、はじまりと終わりを持った物語を動き始めるのだ。


結論
先に書いたとおり、この作品は響子さんが五代君との恋愛を通じて、再び時間を取り戻す物語であると思う。惣一郎さんが亡くなった時点で時を止めてしまった響子さんが、再び時間を回復するには、平凡な言い方になってしまうが、やはり「愛」が必要であったのだろう。すなわち、響子さんが五代君と共に生きる、という決心をした時、響子さんの中で時が動き始めるのだ。逆に言えば、時を動かすには愛する人と共にいなければならない。したがって、作品中で最も感動的といえる五代君のプロポーズの場面において、響子さんが五代君に求めた約束とは《お願い、一日でいいから、あたしより長生きして》であった。というわけで、時間を巡る物語は、響子さんが再び時を取り戻した時*3に結末を迎えるだろう。それが、物語の論理であり要請でもあるのだから。

*1:しかしながら、反復と言っても同一性の反復というより、絶えずズレのある反復かもしれない。恋愛の成就が常に遅延されているように。

*2:時の無い空間ならば、記憶の風化を防ぐことが出来る!

*3:物語の結末は、響子さんが出産し、病院から赤ちゃんと一緒に退院してくる場面である。赤ちゃんを産むということには、成長という時間が必要だ。