三島由紀夫『音楽』

三島由紀夫『音楽』新潮文庫、1970年2月
三島の精神分析嫌いは有名だが、この小説はその精神分析を題材にしたものだ。解説のなかで、澁澤龍彦がこの小説を「推理小説のごときサスペンス」を持たせて書かれてあると指摘しているが、これはその通りだと思う。不感症の弓川麗子の過去に、いったい何があったのか。彼女は、どうして不感症になったのか。それを精神分析家が、推理して治療していく。
この精神分析家は、麗子の語る断片的な物語から、ある一つの物語を想像/創造していくという点では、小説家とまったく同じことをしているのではないか、と思う。この観点から深読みしてみると、作家が作家について語った自己言及的な物語なのかもしれない。
たとえば、精神分析との絡みでいうとハロルド・ブルームの「影響の不安」あたりを参照したくなる。

「いいわ、きっといつか兄さんを矮小な赤ん坊に変えて、私の子宮へ押し込んでやるから」という、神話的な悪意を凝らしたのであった。
 これこそ麗子の全症状の中核にあるものだった!そしてこの観念は、他の多くの観念を倒錯した形にみちびき、「兄との行為による兄の子の妊娠」という観念を、純潔の観念と同一視させてしまった。それさえ守っていれば、永久に純潔でありうる、という奇怪な考えが抱かれたときに、麗子の不感がはじまった。同時に麗子は「無原罪の母胎」を信じるにいたった。何故かといえば、妹が兄を生むというような不条理な母胎こそ、無原罪でなければならないからである。(p.222)

ここでは、父と息子ではなく、兄と妹という関係なのだが、自分より先に生れた者を、自分が生みたいという欲望がある。先行する者の影響をいかにして振り払うか。そうしたとき、倒錯した欲望が生れている。この記述は、とても興味深い。

音楽 (新潮文庫 (み-3-17))

音楽 (新潮文庫 (み-3-17))