三島由紀夫『愛の疾走』

三島由紀夫『愛の疾走』ちくま文庫、1994年3月
三島の恋愛物は、あまり好きではないが、この小説はかなり面白い。解説で、清水義範が「二重構造小説」とこの小説を呼ぶ。というのも、この小説は、普通に「第一章」とか「第二章」といった章立てのほかに、「田所修一の章」とか「正木美代の章」とか「大島十之助の章」といった登場人物が一人称で語る章が挿入されている。このように、三島の書いた『愛の疾走』は二重の構造になっているのだ。清水は、このような「しかけ」のある小説は好きだと書いているが、私も三島の試みはとても面白いものだと思う。
清水の分析をもう少し参照してみる。清水は、「この小説の主人公たちは二重に主人公にされている」と言う。そして、さらにややこしいことに、若い恋人の二人は、小説中で二人をモデルに「愛の疾走」を書こうと画策している「大島十之助」のたくらみを見破り、その裏をかこうと考えているのだ。

 つまり、作者の思い通りになりたくない、と考える主人公、という、近頃のメタ・フィクションの中にあるような不思議な人間が出てきてしまうのである。(p.255)

とはいえ、若い二人の恋は、大島の思い通りに展開してしまうのだが、清水はさらに「そして言うまでもなくその作者役の大島十之助という人間は、三島由紀夫の書いているこの小説の登場人物なのであり、実はどの登場人物も作者のペンが生みだしたに過ぎない」(p.255)と述べ、「その辺が、実にヘンで面白い」(p.255)と感想を記している。
物語自体はたわい無いものだ。しかし、この小説が最後まで読み通すことが出来るのは、この「しかけ」に因るところが大きい。

愛の疾走 (ちくま文庫)

愛の疾走 (ちくま文庫)