蓮實重彦のトークショー

シネ・ヌーヴォ成瀬巳喜男特集が行われている。きょうはトークショーがあり、去年の小津特集に続いて蓮實重彦がやってきた。去年と同様、館内は大混雑。本当に人が溢れていた。
きょうのトークも面白いものだった。はじめに、きょうは「国粋主義者」としてやってきたと笑わせる。国粋主義者が日本の伝統だなんだと言っているが、それでは成瀬巳喜男の映画を見たことがあるのか、そのような意味のことだ。成瀬について何を言っているのか。成瀬の代表作は、たしかに『浮雲』だけど、それだけではないのだと。国粋主義者は、栗島すみ子の主演した映画を知っているのかと挑発する。また蓮實重彦が中学生の時に見た『お国と五平』が、「週刊朝日」の映画評で酷評され、そのことが気に入らなくて、映画批評に向かわせたのだという思い出も語る。
それから、海外の映画祭(ロカルノおよびサン・セバスチャン)における成瀬特集で体験したエピソードを紹介。このへんの話は、最近の映画評論の本にも書いていることだ。6000人もの観客の前で、成瀬のすばらしさを語ったことや、4ヶ月で分厚いカタログを作成したことなど。
また、成瀬はしばしば「女性映画」を撮る監督と言われるが、それに対しても疑問を発する。たとえば、女優を撮ることに長けた監督として、マックス・オフュルスジョージ・キューカーの名を挙げる。彼らの作品はたしかに「女性映画」と呼べるように、女性を中心に素晴らしく撮る才能がある。だが、これらの「女性映画」と成瀬の撮る「女性映画」は異なる。たとえば、成瀬映画ではおなじみの高峰秀子。『浮雲』という作品もあるが、成瀬の映画の中で、高峰秀子が物語の中心にずっといることは稀だし、時に脇役のような位置にいることもあると。また、成瀬は、これでもかというぐらい、普段目に付かないようなことも描く。けっして女性を美しく撮るだけではないらしい。
成瀬組のことにも触れていた。カメラの玉井正夫、美術の中古智、照明の石井長四郎で撮られた映画は、世界的に見てもこれほど水準の高い映画はないという。『浮雲』のラストシーン、屋久島で高峰秀子が亡くなり森雅之が化粧を施す場面について、これをたんに「死に化粧」の場面と片づけていてはダメだ。なぜ、ここで嵐が起きるのか。映画的に言えば、アルコールランプで、高峰秀子の顔を照らし、その光の変化を見せるためなのだと指摘する。こういうことを成瀬組の面々は分かっているのだという。嵐のために、鎧戸がバタンバタンと鳴る場面。リアリストから言えば、当時の屋久島の家に鎧戸があるとは思えない。おそらくなかったであろう。だが、中古智はバタンバタンと鳴る鎧戸が付けてしまうし、そうしたことを受け入れる成瀬巳喜男(この時の話は、『成瀬巳喜男の設計』で詳しく語られていた)。
トークショーは一時間ほどだったが、あっという間に終わってしまったという感じだ。相変わらず、トークが上手いなと思う。最後に、最近作られた成瀬巳喜男についてのドキュメンタリー映画について、なぜカメラマンの玉井正夫について誰も触れていないのだと、試写の時に批判したとのこと。最後まで気になること言う。