三島由紀夫『鍵のかかる部屋』

三島由紀夫『鍵のかかる部屋』新潮文庫、1980年2月
短編小説集。10代に書かれたものから、死の直前に書かれたものまで、広範囲にわたる。したがって、三島の作風の変化を窺うこともできるだろう。
新潮文庫の三島の作品で未読の作品を全部読もうと思って、ここ数日ひたすら三島の文庫本を読み続けてきた。ようやく、現在手に入る新潮文庫の三島作品を読み終えた。やってみて感じたことは、私は、三島の10代の頃の作品を読むのが苦手だということだ。どうも戦中に書かれた三島の作品は読みにくい。戦後の作品は、比較的読みやすい。これは他の作家と比べても、戦後の三島の作品は読みやすいと私は感じる。
たとえば、この『鍵のかかる部屋』には、「彩絵硝子」と「祈りの日記」という10代のころに書かれた二つの作品が収められている。この二つの作品が、どうも読みにくい。何が原因なのか、根本的な理由が分からない。「祈りの日記」に関しては、女性の語り口調を再現するような文体(たとえば谷崎の『卍』のような文体)を試みていて、この実験性が読みにくくさせている。しかし、谷崎の『卍』は少しも読みにくいと感じなかったのに、三島の「祈りの日記」だと読みにくいのはなぜだろう。読点の少なさ、段落の少なさという形式的な点で二つの作品は、共通しているにもかかわらず…。二つの作品の文体の間には、何か決定的な違いがある。
三島は、息の長い文章よりは、短い断定調の文体のほうが、よく似合う。改行も多い方がテンポが出て読みやすい。戦後の、特に大衆向けに書かれた小説は、そんな感じの文体だ。いわゆる「純文学」系統の作品よりも、私は三島の通俗的な作品のほうが面白いと思う。いや、もちろん『金閣寺』や『豊饒の海』四部作が素晴らしいのだが。
さて、この短編小説集では、やはり表題作の「鍵のかかる部屋」が一番面白い。現代風に言うならば、「ロリコン」が主人公の小説になる。九歳の女の子と財務省の若い官僚「鍵のかかる部屋」での戯れ――。
この官僚は、女の子と関わる前に、この女の子の「母親」との交際があり、その秘密の交際は「鍵のかかる部屋」で行われていたわけで、女の子との関係は、この「母親」の急死後になる。とすると、母⇒娘というふうに、男が娘に「母親」の姿を重ねるといった物語になるのかと思いきや、三島はそんなベタなオチに持っていかない。物語を知り尽くした三島のテクニックが、冴えている作品だと思う。

鍵のかかる部屋 (新潮文庫)

鍵のかかる部屋 (新潮文庫)