川端康成『舞姫』

川端康成舞姫新潮文庫、1954年11月
川端の小説には皇居の周辺がよく出てくると思っていたら、この小説の冒頭場面がいきなり「皇居の堀」だった。そうそう、この「皇居の堀」を登場人物たちが歩くのが、川端の小説の特徴なのだ。
この小説は、バレリーナの母(波子)と娘(品子)、そして夫(矢木)と息子(高男)の家族が緩やかに崩壊していくさまを描く。解説は三島由紀夫が書いている。この解説は読み巧者である三島らしい批評となっていて興味深い。
三島は波子の夫である矢木に注目している。この矢木という人物は、非常に「俗」っぽい人間として描かれ、三島も「正にゾッとするような男」と評している。だが、矢木は「単なる無力な「観察の悪魔」なのであるか」と三島は問い返す。そして、矢木の愛情には「観察する人間の、次元のちがった愛し方のようなもの」があり、このような「非人間的な愛情の呪縛」によって波子は矢木を長い間拒むことがなかったのではないかという。
三島は、この小説の登場人物たちの無力は、この矢木の無力の呪縛によるものと見る。そして、矢木がなにゆえに無力なのかといえば、矢木は「小説家の象徴」であり、「あらゆる人間行為に対する超越性によって無力なのではないか」とする。したがって、この小説は「バレエという芸術行為にいそしむ女が、正にそのことによって石女になり、あらゆる行為を軽蔑する男の支配をのがれえぬ物語」であると三島は読んだ。つまり、三島はこの小説に「芸術と生活」という問題、まさしく三島自身の問題を読み込んでいる。
この解釈には、三島個人の芸術観が強く出すぎている感もなきにしにもあらずであるが、なるほどと思わせられるところもある。
この小説で、ほかに気になることといえば、バレエの話なのでしばしばダンサーのことが話題になっている。特にニジンスキーと朝鮮のダンサー「崔承喜」という人物が話題に上がっている。品子は崔承喜の踊りをこう述べている。

「そう、あれは、昭和九年か十年だったでしょう。お母さまは、おどろいたものよ。朝鮮民族の反逆や憤激が、無言の踊りに感じられてね。どもるような、あがくような、荒けずりで、激しい踊りでね。」(p.124)

また品子は次のように日本文化を批評している。

「でも、日本の踊りと、バレエは正反対ね。日本の心と体の伝統の、まるで逆を行ってるんですもの。日本の踊りの動きは、なかへ集めるように、うちに包むようにするけれど、西洋の踊りは、なかから離すように、そとへ開くように動くから、こころもちもちがうでしょう。」(p.126)

崔承喜について、語っているとき、波子から「民族」などという言葉も出ていたりして、この箇所は伝統と身体あるいは民族と身体の関係といった身体論となっていることに注意したい。川端作品における「身体」の意味を考察しようとするとき、この小説は意外に重要かもしれない。

舞姫 (新潮文庫)

舞姫 (新潮文庫)