三島由紀夫『花ざかりの森・憂国』

三島由紀夫『花ざかりの森・憂国新潮文庫、1968年9月
自選短篇集。「憂国」は、このあいだフィルムが見つかったというニュースがあって、DVD化されるということなので、その前に小説を読んでみた。『憂国』に関しては、三島自身が「三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と言ったことはよく知られている。
さらに、この文庫にある解説で三島は、この小説で描かれた「愛と死の光景」「エロスと大義との完全な融合と相乗作用」を、「私がこの人生に期待する唯一の至福」であるといい、だが、「このような至福は、ついに書物の上にしか実現されないのかも」しれないとする。だから、この『憂国』という小説を書き終えたことで満足すべきなのかもしれないと。実際は、自ら奔走して映画化したわけなので、書物の上だけで実現されることに満足できなかったということだろう。小説家が、小説を書くだけでは満足できなかったという思い入れの強い一編だった、と言うことができるだろうか。
さて、『憂国』の中身だが、どうしても武山中尉の切腹場面に注目がいってしまう。

 中尉がようやく右の脇腹まで引き廻したとき、すでに刃はやや浅くなって、膏と血に辷る刀身をあらわしていたが、突然嘔吐に襲われた中尉は、かすれた叫びをあげた。嘔吐が激痛をさらに攪拌して、今まで固く締っていた腹が急に波打ち、その傷口が大きくひらけて、あたかも傷口がせい一ぱい吐瀉するように、腸が弾け出て来たのである。腸は主の苦痛も知らぬげに、健康な、いやらしいほどいきいきとした姿で、嬉々として辷り出て股間にあふれた。中尉はうつむいて、肩で息をして目を薄目にあき、口から涎の糸を垂らしていた。肩には肩章の金がかがやいていた。(p.252)

この描写がリアリティがあるのかどうか、つまり実際にこういう事が起きるのかどうかは知らないので迫真に迫る描写だとは判断がつかない。しかし、切腹したところを美しく描こうというよりは、グロテスクに描いているのかなという印象は受ける。腸が飛び出るところはともかく、涎を垂らすところまで描いているのは気になるところ。このあとでも、「生ぐさい匂いが部屋にこもり」だとか、嘔吐を繰り返している中尉の姿を書いている。美しい死よりも、「本物」らしい死を描いていると思う。「本物」らしさにこだわったのだろうか。
この短篇集では、ほかに「卵」や「百万円煎餅」といったユーモアのあるコントが良かった。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)