成瀬巳喜男『乱れる』

『乱れる』監督:成瀬巳喜男/1964年/東宝/98分
これは傑作。これを見るまでは、成瀬は『浮雲』が一番!と思っていたが、その評価が崩れそうだ。この『乱れる』を成瀬映画の最高傑作と言っても良いかもしれない。特にこの映画を論じる人は必ず触れずにいられない、電車内での加山雄三の席を移動するシーンがすばらしい。このシーンだけは何度も何度もくり返してみたいほどだ。
物語は、高峰秀子が戦後の焼け跡から立て直した酒屋が舞台。高峰秀子は、例によってこの家の嫁で、夫は結婚して半年で戦争に行き亡くなっている。この家には、3人の姉弟がいて、二人の娘は結婚して家を出ている。一番下の弟(加山雄三)が一緒に住んでいるのだが、仕事もせず夜な夜な遊び歩く毎日。だが、この弟が会社を辞めて、家にずっといるのは理由があった。それは、この兄嫁のことが好きだったのだ。
そんな義弟の告白を聞いて以来、兄嫁の高峰秀子は動揺する。そして耐えきれなくなり、とうとうこの家を出て、義弟と別れ、実家にもどり人生をやり直す決意をする。
家を出る兄嫁を義弟は追いかけてくる。列車内の名場面はここのところだ。混んでいる車内で、あとから乗った義弟は座るところがなく、兄嫁から離れて立っている。だが、列車の移動とともに、席に座り、席を変え移動して、兄嫁の座っている座席に少しずつ近づいていく。カットが変化するたびに、加山雄三高峰秀子のほうに少しずつ席を移動しているのだ。ここの場面の緊張感がたまらない。とにかく、あまりにも見事すぎて衝撃的な場面なのだが、つまらない言葉でしか説明できない自分に腹が立つ。
ところで、もう一つこの映画で興味深いのは、「橋」の主題である。成瀬映画の「橋」の主題に注目している私には、この映画は「橋」の主題の集大成のように思える。至る所で「橋」が目に付くのだ。
たとえば、はじめにバーで暴力事件を起こした義弟を警察から連れて帰る時、高峰秀子加山雄三は橋の上を並んで歩いている。橋を二人が歩いていることで、この二人が何か只ならぬ関係になることが分かる。『秋立ちぬ』で、「橋」で出会った少年と少女が、一緒に家出をすることになったことを思い出してみればよい。
さらに、面白いのは、舞台となる酒屋の家の構造だ。居間と台所が1メートルぐらい離れてあって、その間を一枚の板で繋げている。まさに、この板が家のなかではまるで橋のように見えてくる。高峰秀子が、この板の上に立っている場面があったのは印象的だ。この家族における彼女の存在の位置を表わしているように思える。
さて、何度も名場面と呼ぶ、列車の移動シーンにも「橋」の映像が挿入されている。それは鉄橋だ。加山雄三が列車内で移動を繰り返している間に、列車は鉄橋を二度ほど通過している。この映画の最大の見所に、橋の映像が二回も挿入されているということは、二人にとって、いかに「橋」が重要な主題であるかを理解することができるだろう。
そして、二人が途中下車して向かった銀山温泉も「橋」で溢れている。山間にあるこの温泉地には、町の中心に川が流れているからだ。したがって、二人は橋を何度か渡らなければならないし、二人が泊まる旅館の前にも橋が架かっている。このような場所で、二人が永遠の別れをしなければならなくなるのだろう。夜に旅館を飛び出し、酔ったまま山に登り、そして崖から落ちて亡くなったという義弟が、担架で運ばれていくのを追いかける高峰秀子の疾走シーンもすばらしい。ともかく、この映画においては、二人の周囲に常に「橋」があることが重要なのだ。橋が二人を接近させ、そして離ればなれにしてしまう。つまり、「接近」と「別れ」という二重の意味を「橋」は持っている。このような「橋」が持つ二重性は、たとえばジンメルの「橋と扉」あたりが参考になるのかもしれない。