前田愛『近代読者の成立』

前田愛『近代読者の成立』岩波現代文庫、2001年2月
以前から、必要な箇所だけちょこちょこ読んでいた本だったのだが、きょうはきちんと通読してみた。読者論として有名で、特にこのなかに収められている「音読から黙読へ」という読書形態の変化を跡づけた論は、今では必読文献になっている。
目次を見ると分かるのだが、この本は幕末から始まり戦後の「国民文学論」まで、かなり広い範囲を扱っている。この守備範囲の広さは、前田愛ならではと言うべきなのだろう。近世と近代にわたる研究は、かなり難しい。
今回本書を読んでいて、一つ興味を持った箇所があった。それは明治のはじめの頃の読書形態を論じた箇所だ。幕末から明治の初年に幼少時代を過ごした人の回想録を見ると、そこには初めて書物の世界に出会った喜びと、祖父母や両親、兄弟への追憶が一つになっているというのだ。彼らの読書記憶は、肉親の声で始まるという。そして、この読書には二つの形態があったことを指摘する。一つは漢籍素読であり、もう一つは草双紙の絵解きである。私の関心を引いたのは、この箇所だ。漢籍素読は、祖父・父・兄から口授される。一方、草双紙はどうかというと、こちらは祖母・母・姉が聞かせてくれるものなのだ。

 この炉辺の媒体、家庭的な文字教育ないしは文学教育が、父=素読型と母=絵解き型という二つの型を共存させていたことは、伝統的な社会が育んだ独特の穎知でなければならなかった。一方は漢語の勁い響きを反復することによって規範の馴化を訓え、他方は七五調のなだらかなリズムに乗せて規範から逸脱した世界の所在を開示する。(p.161)

近代文学では、「少年」と「草双紙」と「母親」がセットになっていることがある。このモチーフは、ある世代に共通の読書体験であったことがわかる。この記憶が、新たな文学を生み出したというわけだ。
本書は、他にも読者の問題で大衆文学、通俗文学について論じられているし、最後の「読者論小史」として、近代文学における「読者論」の系譜をまとめていて、これは読者論に興味・関心がある人は、まずはじめに読んでおくべきものであろう。

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)