稲葉振一郎『モダンのクールダウン』

稲葉振一郎『モダンのクールダウン』NTT出版、2006年4月
結局、何が言いたいことなのか、一回読んだだけでは私には理解できそうにない。この本のテーマはいったい何だったんだろう?――<近代>論? ポストモダン論? 東浩紀論? 大塚英志論? 虚構世界論? 公共性論?...
近代文学論としては、なんだか大雑把すぎるし――近代文学(純文学)は自然主義私小説だけではないだろう、というか本書が依拠している大塚英志近代文学論が粗雑なのかもしれない*1――、さらに幅広くして文化論として読んでも、それほど目新しい論でもないし。サブカルチャー論としても、東浩紀大塚英志に寄りかかりすぎているし。というわけで、本書のねらいが、私にはうまく掴めなかった。「キャラクター」とか「萌え」を使って、あらたな「公共性」のありようを追求する、というのがねらいなのだろうか。
8章の最後に、「現時点でのぼく自身の立場としては、大塚の問題提起を真に受けて、「ポストモダン」状況における<近代>の可能性について、きちんと考え直していきたい、というところに落着いています」(p.239)とある。この問題意識も分かるようで分からない。本の帯には「グッバイ、ポストモダン!」とあるけれど、それは少し内容と異なるのかなと思う。
とりあえず、本書を書く目的を、はじめかおわりにでも書いて欲しかったなというのが率直な感想。

モダンのクールダウン (片隅の啓蒙)

モダンのクールダウン (片隅の啓蒙)

*1:経済学を無視した経済論がトンデモだと批判されるように、文学研究を参照しない文学論もまたトンデモだと批判されるべきであると、私は思う。