吉田喜重『煉獄エロイカ』

◆『煉獄エロイカ』監督:吉田喜重/1970年/現代映画社・ATG/117分
『エロス+虐殺』(1969)そしてこの『煉獄エロイカ』(1971)と『戒厳令』(1973)が、政治とエロスを扱った三部作ということになる。『煉獄エロイカ』と『戒厳令』の間に、『告白的女優論』があり、これらが吉田の70年代の活動である。政治、つまり吉田にとってそれは「父」の問題であり、「父」をいかにして解体するのかということを追求したのがこの三部作だと言える。
しかしながら、私は吉田の70年代の作品は苦手だ。政治や歴史、そしてエロスと私の不得意とする主題が中心となっているからだ。要するに、60年代の学生運動についての知識、あるいは実体験などがないと、これらの映画は理解できないのではないかと思う。
また、私はこれらの映画を見ると、なんとなく演劇的な印象を受ける。『さらば夏の光』あたりでも顕著だが、俳優がまるでロボットのように、機械的に動作するようになる。こういうのを形式主義と言って良いのか分からないが、ある型をなぞるように俳優たちは演技する。あらかじめ決められた型を忠実に守っているような印象を何度も受ける。抽象的な動作を積み重ねて映画を作る。吉田喜重の映画が難解なのは、このような俳優の動作や身振りにあらかじめ「意味」がないからだ。「意味」は、観客に委ねられている。「意味」から解放された身体、あるいは運動という記号が、観客に無限の広がりを強く感じさせる。こうして映像を受動的ではなく、積極的に受け入れることを求められるだろう。だから、吉田喜重の映画は難解なのだ。