吉田喜重『樹氷のよろめき』

◆『樹氷のよろめき』監督:吉田喜重/1968年/現代映画社・松竹/98分
吉田喜重には女性映画の時代もあって、この時、岡田茉莉子を主演の映画を作っている。吉田自身、父=男性中心の社会を批判する意図があったことを述べているが、これらの女性映画の女性は、男性から見られる対象である自身の「性」に自覚的だ。これは、おそらく岡田茉莉子という女優のキャラクターに寄るところが大きいのではないかと思う。『秋日和』の岡田茉莉子など、想起してみると良いのかもしれない。岡田茉莉子という女優は、男性中心の社会を批判的に見ることができるキャラクターなのだ。こうして、後に吉田喜重は男性が中心である「近代」を批判することが可能になったのだ。女性映画の時代の作品を見ることによって、吉田映画において岡田茉莉子の存在の大きさが理解できるだろう。
樹氷のよろめき』は、北海道が舞台である。白が支配する画面だ。時に雪は、画面を覆い何も見えない状態するだろう。
そのような激しい吹雪のなか、登場人物たちは雪山を登山する。しかも軽装でだ。これを見ていると、いつ岡田茉莉子が遭難してもおかしくない、と心配で冷や冷やしてしまう。それなのに、吹雪のなかで、男と女は抱き合うわけなのだ。まったくあり得ない場所で、あり得ない行為が展開される。この驚くべき物語がすごい。この映画傑作だと思った。
この映画でも、「死」へ導く「水」の存在が確認できる。映画のはじめのほうで、青年と女が湖で湖岸に繋がれていたボートに乗る。ここでの会話のなかで、「湖に突き落とす」とか「殺意」などの話題が交わされるように、吉田映画においては、「水」とは飛びこむものなのだ、ということが理解できるだろう。それは、ラストで青年が雪山で飛び降り自殺を図るのも、まさに雪=「水」のなせるわざなのである。「水」を見たら、人は飛びこみたくなるし、誰かを突き落としたくなる、それが吉田喜重なのである。