齋藤孝『質問力』

齋藤孝『質問力 話上手はここがちがう』ちくま文庫、2006年3月
これはなかなか面白い本だった。立ち読みしたときに、蓮實重彦の名があったので、気になって読み始めたのだが、この本に取り上げられている「質問」の例が非常によい。たとえば、私が気になった蓮實の例を見てみよう。
齋藤は、『光をめぐって』という映画監督へのインタビュー集における、蓮實のアンゲロプロスへのインタビューを取り上げて解説している。蓮實は、アンゲロプロスに向かって、こう質問した。「しかし、あなたの悲観的な視点にもかかわらず、あなたの映画を見ている限り、あなたはそうした見解には同意していない」。この質問を齋藤は「すごい質問だ」(p.132)というのだ。どうしてか。この質問の前に、アンゲロプロスは、今の時代を悲観的に語っていたという。映画は絶望的なものになってしまったと語っていたアンゲロプロスに向かって、蓮實は「あなたはそうした見解には同意していない」と言い切った。たしかに、この応答はすごい。齋藤が「何という緊張感のある対話だろう」(p.133)と述べるのも理解できる。あなたがどう悲観的に語ろうと、だがあなたの創った映画はそうではないと、蓮實はアンゲロプロスに迫った。知識人が時代を悲観的に語るのは、おそらくクリシェというか、まあよくあることだと思う。真面目に考える人ほど、今に対して絶望感を口にしてしまうだろう。だが、蓮實は映画はそうなっていないではないかと指摘することで、紋切り型の問答を打ち破ってしまう。こうしてアンゲロプロスの別の面を引き出した。これは、たしかにクリエイティブな「質問」と言えそうだ。
もう一つすごいと思った質問は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で語られるものだ。マタイ伝には悪魔とキリストの対話があり、そこで悪魔はキリストに3つの質問をした。「お前が神の子なら、石がパンになるように命じてみろ」「お前が神の子なら、この塔の上から飛び降りてみろ」「お前が私にひれ伏すなら、この世のすべての栄華を与えよう」というものである。そして、これに対し、キリストは「人はパンのみにて生きるものにあらず」「神を試みてはならない」「ただ神にのみ仕えよ」と答えたのは有名なことである。だが、ここでドストエフスキーが注目したのは、悪魔の「質問」のほうだった。イワン・カラマーゾフが言うには、「あの三つの問いの出現にこそ、まさしく奇蹟が存している」のである。「なぜなら、この三つの問いには、人類の未来の歴史全体が一つに要約され、予言されているのだし、この地上における人間の本性の、解決しえない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな三つの形態があらわれているからだ」というわけなのだ。たしかに、こう言われてみると、この悪魔の質問はすごい。また、これに気がついたドストエフスキーもすごい。
本書には、優れた質問が取り上げられており、それらはあまりにも見事すぎて一朝一夕に誰でもができるわけではないと思うが、非常に参考になる。すぐれた問答は、当事者のみならず、それを見聞きする第三者にも役に立つのだ。

質問力 ちくま文庫(さ-28-1)

質問力 ちくま文庫(さ-28-1)