蓮實重彦『映画狂人最後に笑う』

蓮實重彦『映画狂人最後に笑う』河出書房新社、2004年9月
いつのまにかシリーズとなって、全部で10冊も出た『映画狂人』。その最終巻となるのが、この『映画狂人最後に笑う』だ。私はいちおう全10冊買ったはずだけど、読んだのは最初の『映画狂人日記』と今回のこの本だけ。ああ、蓮實ファンなのに…。
この『映画狂人最後に笑う』は、短い文章を集めたものなので、すぐに読み終えることができた。蓮實重彦のきちんとした論は、読むのに時間がかかるし、けっこう大変だから、残りの巻を読むのは当分先のことになりそうだ。
この本の最後のほうで、いわゆる「廃業宣言」をして以後のことが綴られていて、けっこう興味深い内容だった。国際映画祭での体験とか、映画を発掘した経験とか語られていて、こうしたエピソードを読んでいると、映画と深くつきあえてうらやましいなあと思う。まあ、でもかなり大変な仕事をしてきたようだ。数々の修羅場をくぐり抜けていて、ちょっと驚いた。
大変だ、といえば映画を見るということもまた同様。以下の言葉を忘れずに覚えておきたいものだ。

映画は外国語に似ている。大学に入る年齢になってからお稽古ごとのように外国語を始めても、まずものにならないように、映画も幼少期からこれと親しんでいることが決定的なのだ。また、外国語の鮮度が年齢とともに落ちるように、映画も、ちょっとそれから遠ざかっているとたちまち感性が鈍る。十八歳ごろまでに記憶の底に五百本ぐらいのフィルムの影が揺れていて、以後、成年に達してからも年平均百本内外のフィルムをつけ加えるという試練を続けないと、映画語を操ることはできない。(p.180)

年に100本はきつい。体力的にというより、経済的にだが。これぐらいは見ることのできるように、収入を確保をしたい。そうして、映画語を操れる感性を磨きたい。映画を見てそれを語るというのは、なかなか厳しいことだ。

映画狂人 最後に笑う

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