三島由紀夫『命売ります』

三島由紀夫命売りますちくま文庫、1998年2月
これは傑作。種村季弘の「解説」を読むと、この作品は昭和43年に『プレイボーイ』に発表されたという。三島はちゃんと読者を意識して書いていたことが分かる。種村が言うように、タイトルの『命売ります』などは、やくざ映画を意識していたのかもしれない。
しかしながら、種村はやくざ映画あるいは「007シリーズ」あるいは「スリラー漫画」では説明しきれないものが、この作品に残るという。それは何か。
種村はこの小説の正体を「没落とデカダンスへの意志」だと指摘する。そして、ウィーンの世紀末詩人である「フーゴー・フォン・ホフマンスタール」の『チャンドス卿の手紙』というエッセイが、この作品のモデルになっていたのではないかと主張する。天才少年詩人であったチャンドス卿が、「言葉が、口のなかで、まるで天馬空を往くように、こなごなになってしまう」体験に遭遇する。種村は、天才詩人の失墜と失語状態の痛ましさを、『命売ります』の主人公「羽仁男」と重ね合わせている。『チャンドス卿の手紙』を読んだことがないので、この解釈が妥当なものかどうか分からないが、興味深い指摘だった。
命売ります』は、羽仁男が自殺を失敗したところから始まる。彼は、新聞のページの文字がすべて「ゴキブリ」のように見え、「『ああ、世の中はこんな仕組みになってるんだな』」(p.8)と突然悟り、その瞬間自殺することを決意する。そして、大量の睡眠薬を飲んだが、死ぬことができなかった。一度死に損なった羽仁男は、「何だかカラッポな、すばらしい自由な世界」(p.11)が目の前に広がっていると感じる。そして、「今まで永遠につづくと思われた毎日がポツリ」と切れたように感じる。こうして羽仁男は「永遠」に続くかのような日常から飛び出したのだ。そんな彼が会社を辞めて始めた商売が、自分の「命」を「売ります」であった。
ここから次々と羽仁男の「命」を買う人物が現れて、B級映画のような活劇が繰り広げられていく。あやしげな外国人や、訳の分からない「ACS」なるスパイ組織などが出てきたり、はたまた「吸血鬼」の女まで登場する荒唐無稽さ!。エンターテイメント小説としてかなり面白い。この小説は三島が書いた作品のなかで、映画化にもっとも適した作品なのではないかと思う。たとえば、大和屋竺あたりが映画化したら、無国籍アクション映画として、かなり面白い映画になったのではないだろうか。

命売ります (ちくま文庫)

命売ります (ちくま文庫)