三島由紀夫『肉体の学校』

三島由紀夫『肉体の学校』ちくま文庫、1992年6月
「妙子」というオートクチュールを営んでいる女性が、年下の男性「千吉」と出会う。上流社会に生きる女性が、貧しいひとりの青年と恋愛をする物語。千吉は、何事にもクールで、未来や過去を持たず、いわばこの「今」の自由を享楽しているような青年で、そういう面に妙子は興味を持つのであったが、実は千吉は猛烈に上流社会に憧れていることが判明する。

『この人は今一番正直になっている。そして自分のやったことを、みんな自分の哲学のおかげだと信じている。その実、感覚の赴くままに動いたにすぎないのに。……ああ、でも何てみじめ正直だろう。そんな風に決して考えないことが、この人の唯一の魅力だった筈なのに。この人は表札のない門の魅力を持っていた筈なのに、今自分で下手な字で、その表札の名前を書いてしまった。この人は現在だけに生きている筈だったのに、自分では計画どおりに運んできたつもりでいるんだわ。こんなに自分の美点を台なしにして、しかもそれに気がつかないなんて』(p.254)

こうして妙子は幻想から目覚める。これまで愛してきた千吉は、自らつくりあげた幻にすぎなかったのだと。そして二人の奇妙な同棲生活は終りを迎えた。
この小説には「ゲイ・バア」が登場したりして、小説が書かれた当時の風俗をうまく取り込んでいる。「恋の都」でもジャズを物語にうまく取り込んでいたが、三島の通俗小説が魅力的なのは、こうした現代風俗の諸相をいきいきと描きだしているからだと思う。つまり、三島はボードレールのように現代生活=モデルニテというものを見事に掴むことができた作家だった、と言えるのではないか。また通俗小説というジャンルは、モデルニテを描くのに最適なジャンルであったことも注意しておきたい。

肉体の学校 (ちくま文庫)

肉体の学校 (ちくま文庫)