阪本順治『亡国のイージス』
◆『亡国のイージス』監督:阪本順治/2005年/日本/127分
これも福井晴敏が原作。『ローレライ』と似たような物語だった。登場人物も似たような設定になっている。『ローレライ』と同様に、なぜか一人少女がこの戦艦に乗っているのだ。今回は、『ローレライ』のように重要な役割を担っているわけではないが、男たちの空間に少女を入れてしまうのはなぜか。気になる。
それにしても『ローレライ』もイマイチの出来だったが、『亡国のイージス』もイマイチだなあ。特に後半が良くない。映画に完璧なリアリティを求めるわけではないが、それにしても最後は都合が良すぎる。真田広之にしろ中井貴一にしろ、体が丈夫すぎる。銃で何発も打たれても、ナイフで刺されても、簡単に死なない。死なない身体を持っていることが、主人公たる理由なのだろう。
たしかに物語の中心となる人物はなかなか死なない。だが、一方で脇役はバンバン死んでいく。死なない身体と簡単に死んでしまう身体という対立が、物語を構成していることに注目しよう。福井晴敏が原作がどうなっているのかは小説を読んでいないので分からないが、『ローレライ』とこの『亡国のイージス』の二つの作品で、共通しているのは「とにかく生きろ!」という言葉なのだ。死ぬな、生きろと主人公は叫ぶ。だが、物語はその台詞に反して、次々に人を死なせていく。まして主人公は、日本を守るために、自分が生き延びるために、一人の男と闘いそして殺さねばならなかった。物語上のこの矛盾。生のために多くの名も無き人間の死を必要とすること。これは、戦後の日本(平和主義)を批判しているのだろうか。それとも、ただの凡庸な物語にすぎないのか。