吉田喜重『嵐を呼ぶ十八人』

◆『嵐を呼ぶ十八人』監督:吉田喜重/1963年/松竹/108分
これは、あまり面白くない映画だった。初期の吉田喜重つまり松竹時代の吉田喜重は、資本家と労働者といった階級対立ばかり描いていた。今回の特集上映で、初期作品をまとめて見て感じたのは、ほんとうに『秋津温泉』が奇跡だったのだなということだ。単純な階級対立ばかり描いていた吉田が、どうして『秋津温泉』のようなとてつもなく美しい映画を撮ってしまったのだろうか。不思議な出来事である。
この映画も身体が重要で、この造船所に送られてくる18人の少年たちの身体はまるで規律がなく、だらだらとしており、自由奔放な身体性を持っている。一方で、映画中には、たとえば高校の野球部員がランニングしている姿が映し出されている。その身体は規律をしっかりと身につけているものなのだ。このような規律化した身体と、18人の野蛮な身体が対立関係にあるのはたしかである。学校=工場化する社会に反発するかのように、徹底して規律から逃れ続ける18人の身体。このような身体は、社会に受け入れられることはもちろんなく、つねに彷徨い続けるしかないのだろう。
フラフラしたりヨレヨレの身体を映画はただ撮り続ける。けっしてこの身体性を映画が矯正することはない。映画に物語を求めていると、野蛮な身体が最後まで矯正されないことに激しく苛立ってしまう。だが、野蛮な身体を矯正するのは、物語の暴力にすぎない。吉田はそのような暴力、権力に加担することはないだろう。