微妙な評価

◆ウンベルト・エコ『論文作法』而立書房
舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。講談社
あまり期待をしすぎたのか、『論文作法』にはちょっとがっかり。それでも、論文の形式面に関しては、十分すぎるぐらい詳しい説明が書かれてあり、とくに初めて外国語で論文を書く人には有益な一冊となるだろう。
だけど、私のようにすでに論文を書いたことのある人間にとっては、参考図書の調べ方や引用の仕方、注の付け方などの方法はそれほど必要がない。私の場合、どうやったら論文のアイデアが浮かぶのか、資料の分析の方法は?といったことが知りたかったのだけど、そのことにはあまり触れられておらず。まあ、仕方がないか。こんなことはマニュアル本で勉強することではないのかもしれない。
これまで、数多くの論文作成に関する本を読んできた私としては、この本の評価は、とりあえず合格点だな。100点満点でいえば、70点だろう。あと一工夫欲しかったなあ。
舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる』。これもビミョーな評価。駄作だ!と言うほどでもないし、それなら積極的に肯定できるかと言えば、それもちょっとためらいを感じる。おもしろい/つまらない、でみても、読み終えた直後ではどちらとも言えず。ちょっとだけ、おもしろいかな?といった感じだろうか。ちょっとだけつまらなかったかも、とも言える。
脈絡もなく、思いつくままにこの小説について考えてみる。
この小説は「女の子が死ぬ話」だ。肺のなかに虫が入り込み、その虫に身体が蝕まれる女性。癌に冒された女性。なんだかよく分からないが、男性に操縦されながら「神」と戦わねばならない女性たち。とにかく、この小説では女性が病気であったり、殺されてしまったりする。どうして、こんなに女の子が死ぬのだろうか。語り手は、女の子を殺したいのだろうか。女の子を失うことが目的なのだろうか。
とすると、「「僕」が愛する女性を失う物語」とも読める。でも、どうして「愛」を描くのに、愛する人を失わないとならないのか。愛する人を失う悲劇な恋愛物語というパターンになってしまう。ちょっと安易すぎる展開に感じる。冒頭を読んでみると、「僕は祈る」とある。なにをか祈るのかといえば、「僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい」ということだ。「幸せなってほしい」と言いながら、みんな死なせてしまうのか?
さらに「「僕」が小説を書くことを巡る物語」という面からもこの作品は読めると思う。小説を書くこととはどういうことか、について書いている小説、すなわちメタ小説という一面も持っている。
けっきょく他人の心は分からない、たとえ愛する人であっても、その人が本当に「僕」のことを愛しているのかどうか、確かめる方法を持っていない。人と人との関係の不透明性が、この小説のテーマとも言えそうだ。
どうしても知り得ない心の部分つまり空白の箇所に対し「僕」はどう対処するのか。
「僕」はこの空白をなんとかして埋めようとする。そこで、空白を埋めるために「物語」が必要となるのだろう。どうしても知り得ない他者の心を、「僕」は「物語」によって補う。空白があるからこそ、「物語」は生れるのだ。そして、この「物語」は「物語」であるがゆえに、書き手によって作り変えることができる。こうあってほしい、そんな理想や願望を「物語」にこめることが可能になるだろう。そして「物語」に救われるのかもしれない。だから「僕」は「物語」を書き続けるのではないか。
「物語」が「祈り」に似ている、いや同一なものではないか、と言っているのは、おそらくこういうことなのではないか、と思う。
それにしても、我ながら下手な感想だなあ。全然、この小説を読めていない。でも、正直、賞に値するほどの小説ではないとは思う。これは、間違いない。