山中貞雄『人情紙風船』
◆『人情紙風船』監督:山中貞雄/1937年/PCL=前進座/86分
『丹下左膳余話』が《明》の作品だとしたら、この『人情紙風船』は《暗》の作品だと言えるだろう。『丹下左膳余話』は、終始笑いに包まれた喜劇だったのに対し、『人情紙風船』は、物語の舞台となる貧乏長屋に笑いがあるとはいえ、物語全体は悲劇なのだ。
そもそも、雨上がりの朝に、首をくくって自殺した人が出たという場面から物語が始まるのが不吉である。この不吉な出来事が物語全体のトーンを決めてしまう。この冒頭場面では、前日に「雨」が降っていたことが知らされ、長屋の住人たちも「雨」のことをしきりに口にする。どうして、雨が降っている日に死ななかったのだ、おかげで取り調べのために、商売に出かけられないではないか、せっかく雨が上がって良い天気になったというのにと。
ここで、「雨」と「死」が組み合わされていることが、この物語にとって重要なのだろう。「雨」(あるいは「雨上がりの日」)と「死」という主題は、ラストでもう一度繰り返されるのだから。反復は、物語の常套手段ではあるが、この物語では「死」が倍になって戻ってくるというところに特徴があり、それゆえに物語の悲劇性が強く印象に残るだろう。この話術に、山中貞雄の天才性を私は感じた。
また、ラストで、新三がヤクザたちと対決する場面の映像の美しさも見逃せない。橋の上で、ヤクザの親分と新三がいまにも斬り合い始めるというところで、映像は別の場面に移る。したがって、新三が果たしてどのような結末を迎えたのかは、映像では語られない。ただ、その前の一連の場面で、新三がどうやら「死」を覚悟していることだけが暗示されるだけだ。しかし、「橋」は三島由紀夫が言うように、此岸と彼岸を繋ぐ場であり、「橋」の映像と「死」のイメージは容易に結びつきやすいことを忘れてはならない。私は、ここでどうしても新三の「死」を想起してしまう。
このように、山中は「死」を直接的に提示しない。「死」の直接的な映像を避けているのは間違いない。それは冒頭の場面でも確認できるし、新三の決闘の場面につづき、浪人の海野又十郎夫婦の心中による「死」もまた映像としては省略されている。この心中の「死」はただ長屋の人たちの会話から知られうるだけだ。「死」の直接的な映像がない、つまり「死」は映像が省略されているにもかかわらず、その省略のために、かえって「死」のイメージが物語に溢れている。その意味でも、この映画は陰惨としか言いようがない。山中の省略話法の巧みさが、これによって窺えると思う。
このように、喜劇も悲劇も自在にあやつる山中貞雄の才能に、私はただ驚くばかりなのだ。山中は、この『人情紙風船』完成した日に、いわゆる「赤紙」を受けとる。そして戦場で病死し、日本映画界にとって大きな損失となってしまった。本当に惜しいことだと思う。もし、戦後まで生きのびていたら、山中はどんな映画を撮っていただろうか。