石川啄木『啄木 ローマ字日記』

石川啄木『啄木 ローマ字日記』岩波文庫、1977年9月
数ある作家の日記のなかでも、啄木の『ローマ字日記』は有名だ。啄木は、明治35年に東京へ出てきた頃から、明治45年の死の年まで、約10年間日記をつけていたそうだが、明治42年4月7日から6月16日の日記がローマ字で書かれている。それが、この『ローマ字日記』と呼ばれるようになったものだ。
解説を書いている桑原武夫は、日記をローマ字で書き出してから、啄木の日記は描写が精密になり、心理分析も深くなったと評している。たしかに、単なる備忘録のような日記ではなく、自己の内面の奥深くまで分け入り、そこから何かを掴みだそうとして掴めない苛立ちや存在論的な不安が、この日記には綴られており、これはもう「文学」作品だとしか言いようがない。
1909年4月10日の日記には、「予は、ただ安心をしたいのだ!」と記す。絶えず、不安のなかで生活せざるえないわが身を振り返っている。「ああ! 安心――不安もないという心持は、どんな味のするものだったろう!」
啄木の不安はどんなものだったのだろう。それは、何かをしなくてはいけないと駆り立てられていることだった。しかし、しなくてはいけない「何か」が啄木には分からない。

 ちかごろ、予の心のもっとものんきなのは、社の往復の電車の中ばかりだ。家にいると、ただ、もう、なんのことはなく、なにかしなければならぬような気がする。‘なにか’とはこまったものだ。読むことか? 書くことか? どちらでもないらしい。いな、読むことも 書くことも、その‘なにか’のうちの一部分にしか すぎぬようだ。読む、書く、 というほかに なんの私のすることが あるか? それは分らぬ:が、ともかく なにかをしなければならぬような気がして、どんなのんきなことを考えているときでも、しょっちゅう うしろから‘なにか’に 追っかけられているような気持だ。それでいて、なんにも手につかぬ。(p.138)

この啄木の不安に共感してしまった。この箇所を読みながら、「わかる、わかる、まさにその通りだ!」と、私は頷いてしまった。この後、啄木は「人のいないところへ行きたい」と書き、とにかく人に見られる気遣いのないところで、思いっきりからだを休ませたいと言う。
こんな不安を抱えた啄木が、貧乏でお金がないのに、ついつい行ってしまう場所がある。それは浅草だ。当時の浅草は「活動写真」のメッカだったし、また女を買う場所つまり私娼街でもあった*1。啄木は、日記に、女性を買い、その女性たちと寝た時のことを赤裸々に記している。たしかに、この記述は自分の妻には読ませたくないかもしれない。強い刺激を求める啄木。しかし、どんなに刺激を受けても、啄木の「イライラした心」が鎮まることはない。

啄木・ローマ字日記 (岩波文庫 緑 54-4)

啄木・ローマ字日記 (岩波文庫 緑 54-4)

*1:日記のなかで、浅草と吉原の違いも書いていて興味深い。