細馬宏通『浅草十二階』

細馬宏通『浅草十二階 塔の眺めと<近代>のまなざし』青土社、2001年6月
「浅草十二階」は、明治・大正期の浅草のランドマークといえる。この煉瓦造りの高い塔の存在は、いやがおうにも目に入ったことだろう。大正期あたりの文学作品を読むと、「十二階」が言及されていることもあるし、作家が「十二階」の思い出を語っていることもある。明治・大正期の浅草を語るとき、「十二階」は忘れてはならない存在なのだ。
そのような「十二階」の盛衰の歴史を本書は描いている。開業当初の人気ぶりから、やがて人々に飽きられ、地震によって崩壊するまで。本書は、当時の人々が「十二階」からどのような感覚を得ていたのか、ということに関心を向ける。「十二階」と当時の人々との関係はいかなるものであったのか。そのために、本書は当時の資料を豊富に利用している。新聞や雑誌、文学作品のなかで「十二階」がどのように語られていたのか。本書は「十二階」に関する言説分析と言えるだろう。また、同時に「十二階」からのまなざしとの比較において、類似していると思われている「パノラマ」も取り上げている。本書は視覚メディア論として興味深い。
文学作品と「十二階」、あるいは「パノラマ」との関係では、田山花袋石川啄木の二人が取り上げられ分析されている。花袋の「パノラマ」、啄木と「十二階」。二人の文学者にとって、これらの意味は何だったのか。
花袋の「パノラマ」では、現在の私たちは「パノラマ」と聞けば「パノラマ写真」を想起するように横方向への拡がりをイメージするのに対し、花袋の場合はどうやら縦方向の拡がり、つまり奥行きを強調していたという点に著者は注目している。これが花袋の文章にも通じているというわけだ。花袋はしばしば「ある、いる」という存在表現の代わりに「聞こえる、見える」という言葉を使う。また「指される」とか「指点される」といように指で指す表現がよく使われている。著者は、こう書くことによって、「読む者は描写面から切り離され、見物人の位置へと立たされ」、「平面に描かれた描写は真に迫りながら、身体と感覚器によって隔てられ」、「身体と感覚器とが斥力となって、距離が生じる」(p.228)という。

花袋の十二階は、このようなことばの斥力によって描写面から等しく離され、「天然の大パノラマ」の中央に立つ。(p.228)

啄木では、通常描かれるべきである塔の上から下を見下ろすまなざしが欠如しているという指摘が面白い。なぜ、啄木は塔の上から下を見ないのか。著者はこの謎を解き明かす。その時、啄木に「はかりがたい底」つまり底辺の生活と通底しようとする意志が見られることが明らかになるだろう。「ことばによる生活との通底を試みながら、ことばが高みにのぼることを忌避する。この精神地図は啄木の文学論にもあてはまる。」(p.262)
「十二階」というものが一体何だったのか、それが人々の感覚をどう変化させたのか。とりわけ視覚メディアと人間の関係に興味がある私には、とても参考になる本であった。当時の新聞や雑誌の記事が引用されていることも有益であろう。

浅草十二階―塔の眺めと“近代”のまなざし

浅草十二階―塔の眺めと“近代”のまなざし