宇野千代『おはん』

宇野千代『おはん』新潮文庫、1965年1月
一人の男が、自分の二人の女性との生活を「あなた」に向かって語る。語りであることを示すために、冒頭には「『」、最後には「』」ときちんと二重括弧で本文全体が閉じられている。
この語り手の「私」は「もと、河原町の加納屋と申す紺屋の倅」だったのだが、今では「古手屋」をひっそりと営んでいる身である。「わが身の阿呆がおかしゅうてなりませぬ」と自分のことをちょっと自虐的というかおどけて語るのだが、気の弱いだらしのない男だ。この男は今現在「おかよ」という女性と生活している。おかよは、この語り手の男が7年前に「生れてはじめて馴染みました町の芸者」で、今は一人か二人の「女衆」をおいた「芸者屋」をやっている。要するに、この語り手の男は、おかよのひものようなものだろう。
物語は、この男が、おかよのために7年前に別れた女房の「おはん」と再会し、ふたたび「おはん」と一緒になるかどうか、その経緯を「あなた」に語っているというわけだ。おはんと語り手の「私」の間には、息子の「悟」がいるが、悟は父(つまり「私」)のことを知らない。悟は、鞠を買いに「私」の店に来たことを契機に、「私」は悟をかわいがるようになる。しかし、自分が父であることは言わずに。「私」は近いうちに悟のことを迎えに行くことを約束し、悟はそれを期待して待っている。とうとう、おかよの家を出て、新しい家におはんと住むことなってしまった「私」だが、引っ越しの当日、悟は雨の中この新しい家にいく途中で、危険な「竜江の崖」から落ちて死んでしまう。結局、「おはん」は「私」を責めることなく、おとなしく身を引き、一人で生きていくと「私」のもとから去っていく。
それにしても、この語り手の「私」が語りかけている「あなた」とは、いったい何者なのだろう?。友人でもなさそうだし、親戚縁者でもなさそう。どうやら、「私」が住んでいる町の事情については、ある程度知識を共有しているようだ。「あなたさま」とかなり丁寧に語りかけているところから、「私」よりも身分が上の男性ということだろうか。
作者の宇野千代は、あとがきで、この小説の舞台のイメージは生まれ故郷の「岩国」のイメージに似ていると述べている。そして、語り手の特徴である方言は、「阿波の徳島あたりの方言を主として、それに関西訛りと私の田舎の岩国訛りとをまぜ合した、言わば作りものの方言」だと記している。どんな小説でも、独特の語り口調とくに「訛り」というのは印象に強く残りやすい。この作品も、たしかにこの「作りものの方言」による語りで成功していると言えるだろう。

おはん (新潮文庫)

おはん (新潮文庫)