永井荷風『墨東綺譚』

永井荷風『墨東綺譚』岩波文庫、1947年12月
これまで荷風は読みにくいというイメージを持っていたので、読まずに嫌っていたのだが、思い切ってこの小説を読んでみたら、すごく面白い小説だった。今まで読まなかったことが非常に悔やまれる。
この小説は、やや複雑な構成をしている。語り手は「大江匡」という作家で、彼は作中で『失踪』と題する小説を執筆中であるという。その一方で、ぶらぶらと浅草あたりを散歩というか探索をしている。大江は、「小説をつくる時、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写である。わたくしはしばしば人物の性格よりも背景の描写に重きを置き過ぎるような誤に陥ったこともあった」(p.29)と述べている。人物よりも、物語の舞台となる場所に強い興味を抱く作家なのである。大江は、古来名勝の地であったが、関東大震災によってその旧観を失っていく状況を描写したいがために、『失踪』の主人公の「種田」の潜伏先を「浅草のはずれ」もしくは、「それに接した旧郡部の陋巷」に持っていったというわけなのだ。
こうして大江匡は、この場所に足を運ぶようになり、そこで「お雪」と名乗る女性と出会う。大江とお雪の短い交流が語られていく。面白いのは、この物語の語り手大江は、お雪との交流を小説的に描いているのではないと自己言及していることだ。たとえば、お雪との出会いは、突然の雷雨のなかで行なわれる。このことに対し、大江は、雨のなかで男と女が出会いは、たしかに物語の常套手段なのだろうが、そういう意図でこの出会いの場面を書いたのではない、出来事をそのまま記したにすぎないと断っている。またお雪との別れについても、「しかしながらもしここに古風な小説的結末をつけようと欲するならば、半年あるいは一年の後、わたくしが偶然思いがけない処で、既に素人になっているお雪に廻り逢う一節を書き添えればよいであろう」とか「この偶然の邂逅をして更に感傷的ならしめようと思ったなら、摺れちがう自動車とかあるいは列車の窓から、互いに顔を見合しながら、言葉を交したいにも交すことの出来ない場面を設ければよいであろう」などと、物語のパターンについて言及してしまっている。要するに、従来の物語に対してメタ的な視線を内在させた小説となっているのである。この小説は昭和11年ごろに書かれたとのことだが、同時代の文学と密接な関連を持っている。『墨東綺譚』のメタ小説的な性格については、すでに論じられていると思うが、たしかにこの手法は興味深い。

濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)

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