川端康成『みずうみ』

川端康成『みずうみ』新潮文庫、1960年12月
この小説は、けっこう読むのが難しい。解説を書いた中村真一郎が、「この作品について感じた最初の驚きは、主人公の「意識の流れ」の描写の美しさ」だと述べている。そして、この小説を川端の『水晶幻想』に連なる作品として位置づけている。この評価は妥当なところであると思われる。私が難しいと感じたのも、この「意識の流れ」的な文体が原因だ。かなり注意して文章を追っていかないと、いつのまにか銀平の「内面」の世界へと入り込んでしまって、物語の筋が分からなくなってしまう。
ところで、この小説は吉田喜重によって映画化されている。吉田喜重の映画のタイトルは『女のみづうみ』と「女」という語が付加されている。このタイトルの違いの意味は大きい。というのも、映画と小説はまったく異なる物語になっているからだ。
その大きな違いの一つとして、中心となる人物が異なっていることが挙げられる。小説では、桃井銀平なる醜い足をした元高校教師に焦点が当てられ、「意識の流れ」も銀平の内面を語るために用いられている。しかし一方、映画で中心となる人物は、岡田茉莉子が演じる「宮子」であった。
つまり、こういうことだ。小説では女性を追いかける側=銀平の内面の物語となっているのに対し、映画では男性に追いかけられる女性=宮子の物語となるのだ。映画は、小説とはまったく逆方向のベクトルの物語へと変換しているのである。この違いは面白い。男の物語を、追われる女の物語へと変換させた吉田喜重。これは、吉田らしい変換だと思う。

みずうみ (新潮文庫)

みずうみ (新潮文庫)