安部公房「けものたちは故郷をめざす」

安部公房「けものたちは故郷をめざす」(『安部公房全作品3』新潮社、1972年8月、所収)
これは傑作。すごく面白い小説。安部公房には、この小説のように満州を舞台にした、今風のポストコロニアルの分析がふさわしい作品がある。実際、安部公房クレオールとかサイードオリエンタリズムに関心を持っていたと聞いたことがある。『砂の女』や『箱男』といった有名な小説も良いけれど、一種の亡命者文学のような初期作品も非常に素晴らしい。
この小説では、「故郷」つまり「日本」へ何としてでも行こうとする久木久三という青年が主人公だ。「日本」への脱出の途中で、高という素性の怪しい人物と合流することになる。高は、どうやら大量のヘロインを隠しもっていて、それで一儲けしようしている。
二人で、危険な荒野を歩き続け、命からがら都市へやってくる。そこで、久木は高からヘロインが隠されたチョッキを預かって欲しいと頼まれる。そして高と一旦別れたが、その後、どうやら高に襲われ、チョッキと特別旅行者証明書まで奪われてしまう。証明書を奪われた久木は、「日本人」でもなんでもなくなってしまう。助けを求めて《日僑留用者住宅》に行くが、証明書のない久木はそこであえなく「日本」から拒絶されてしまう。

門の内側に、剣つき銃をもった国府軍の兵隊と、腕章をまいた日本人の青年が、大きなコンロをはさんで退屈そうになにか笑いあっていた。兵隊は久三に気づくと、犬を追いはらうように舌をならして手をふりあげた。じっさい久三は犬のようにあえいでいたのである。
「にほん、じん、です……」
青年が狼狽した表情で、兵隊を見た。
「行け!」と兵隊がかまわずに銃をもちなおしてみせる。
「にほんじん、なんです……」久三は立っていられないほど、激しくふるえだした。
「証明書がなけりゃ、ここには入れないんだよ。」と、その三年ぶりの日本人は、迷惑そうに目をそらせて言った。(p.272)

久三は、結局「日本」に辿り着けない。「日本」なんて本当に存在しているのか。そう久三は問う。荒野のなかで眠ったまま夢を見ているのではないか。

……ちくしょう、まるで同じところを、ぐるぐるまわっているみたいだな……いくら行っても、一歩も荒野から抜けだせない……もしかすると、日本なんて、どこにもないのかもしれないな……おれが歩くと、荒野も一緒に歩き出す。日本はどんどん逃げていってしまうのだ……(p.297)

ここで、一瞬久三は幼い頃の夢を見る。夢のなかでは、高い塀の向こうで母親が洗濯をしている。久三は、その傍で遊んでいる。そして、その光景を塀ごしに見つめている疲れ果てたもう一人の久三がいる。塀の外にいる人間は、二度と塀の内側に戻れないのか。

こうしておれは一生、塀の外ばかりうろついていなければならないのだろうか?……塀の外では人間は孤独で、猿のように歯をむきだしていなければ生きられない……禿げのいうとおり、けもののようにしか、いきることができないのだ……(p.298)

この傍で、気の狂った高が「戦争だ」「私は主席大統領なんだ」と意味不明なことを叫んでいる。このラストシーンは考えさせられる。「日本」とはなにか。「人間」と「けもの」の違いは何か。
暴力場面などに顕著であるリアルな描写と、意識の流れ的な手法で久三が自問する文体が、適度に組み合わさっていて、手法的にも興味深い小説だった。

けものたちは故郷をめざす (新潮文庫)

けものたちは故郷をめざす (新潮文庫)