三崎亜記『となり町戦争』

三崎亜記『となり町戦争』集英社、2005年1月
印象をいくつか書き出してみる。
町の広報という、毎月たしかに配布されているけど、多くの人がほとんど読まないであろうメディアを効果的に使っているというところに、まず興味を持つ。広報や町役場からの書類などが、この小説には挿入されるのだけど、こうした手法はたとえば安部公房がしばしば用いている。
前半部分は、かなり面白かった。町の広報によって戦争の始まりを知らされるという出だしがあり、しかし戦争中という実感がなかなか感じることができない主人公が、広報の「町勢概況」というほんの小さなお知らせに記された「戦死者」という文字から、今が戦時中であるという現実を思い知るという展開などは、ちょっとしたユーモアがあってよい。
だけど、後半になると、このようなユーモアが消えていく。そうだ、この小説の後半部に足りないのは笑いだと思う。後半部分、つまり私の考える後半部分とは、もう一人の重要な人物である香西さんと一緒に生活し偵察業務に入る部分を主に指しているのだが、このように後半は主人公と香西さんの関係に焦点が集まっていく。香西さんは、たしかにこの戦争という業務の中核を担っている人物であり、その忠実な公務員として仕事ぶりが、逆に謎めいた人物として浮き上がってくる。したがって、この小説における「戦争」とは何かという問いは、香西さんとはいかなる人物なのかということと平行しているようだ。
それにしても、この香西さんの描き方を読んでいると、香西さんが服を脱ぐとき(性欲の解消も業務の一つであるのだが)必ず月の光がさすことに気が付く。月と一体となっている女性なのだろう。月の光とともにあり、無言で性交を行う香西さんというのは、まるで『ノルウェイの森』の直子のようだ。邪推だけど、香西さんという人物は、直子をモデルにしているのではないだろうか。さらに妄想を膨らませれば、この作者は、村上春樹の影響を強く受けているのではないか。そう考えると、どことなく文体が村上春樹っぽく感じられるのは気のせいだろうか?

となり町戦争

となり町戦争