吉田喜重『女のみづうみ』
◆『女のみづうみ』監督:吉田喜重/1966年/現代映画社・松竹/98分
この映画も『樹氷のよろめき』のように、岡田茉莉子の格好と場所が不釣り合いなのである。それを見ていると、思わず笑いがこみ上げてしまう。けっして笑える映画ではないのだけど。
裕福な家庭の妻である岡田茉莉子には、浮気の相手がいる。この男が「思い出が欲しい」と言い、彼女のヌード写真を撮った。そして、帰宅途中、誰かに後をつけられていた彼女は思わずヌード写真のネガが入ったハンドバッグを投げつけて逃げる。そうして、ある男にヌード写真を奪われてしまうのだ。
そして、この男に呼び出されて、旅に出ることになるのだが、だんだん画面が抽象化されていくのが分かる。人気のない海岸だったり、岩場だったり、荒れ狂う海の海岸など。こうした場所に、岡田茉莉子は上品な格好で出かけるのだが、これほど不釣り合いなことはない。靴なんて、砂だらけになるだろうと、見ていて気になってしまう。ヒールでゴツゴツした岩場なんて歩いていたら危険だろうと心配してしまう。だけど、『樹氷のよろめき』でも、延々と吹雪きの雪山を何の装備もなしに歩いたように、彼女はどこでも歩いてしまうのがすごい。このような身体性に注目してもよいだろう。
海が激しく荒れている時、砂浜に放置されている壊れた船のなかで、彼女はヌード写真を奪った男と抱き合う。『樹氷のよろめき』でも、激しい吹雪のなかで男と抱き合うことを踏まえれば、おそらく吉田映画において「荒れる自然」というものは、男女を結びつけてしまうのだろう。
この映画でも最後に「死」を導く「水」が登場する。吉田映画においては、「水」があれば、そこに人は飛びこみたくなるだろうし、誰かを突き落とさなければ気が済まないはずなのだ。この場面で、男に近づく女に一瞬太陽の光が重なって、画面が光に覆われて真っ白になる。画面を覆う眩しい光という主題が吉田映画にはありそうだ。ともかく、ここで場面は転換し、男を突き落とす場面がない。しかし、ラストでこの男が出現したとき、女は「あなたを殺すつもりはなかった」と言う。これはその通りだと私は思う。なぜなら、「水」を見ると誰かを突き落とすのが吉田喜重の映画なのだから。それは人を殺すためでは決してないのである。