『国際シンポジウム 小津安二郎』

蓮實重彦山根貞男吉田喜重『国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年記念「OZU 2003」の記録』朝日新聞社、2004年6月
卒倒もの。ファンにはたまらない二日間のシンポジウムだったのだろうなあと、この本を読んだだけでも分かる。各人の小津安二郎への熱き思いがぐいぐい伝わってくる。蓮實重彦と同様に、涙を禁じ得ない。ああ、実際に行って聞きたかったなあ。
そもそも参加した顔ぶれがすごい。映画監督だけでも、日本からは吉田喜重澤井信一郎崔洋一是枝裕和黒沢清青山真治。他の国からは、ペドロ・コスタホウ・シャオシェンアッバス・キアロスタミマノエル・デ・オリヴェイラ。現在の世界の映画界で最前線に立っている人たちが、一箇所に集まって、「小津」について語るというのだから、ほんとうに驚くべき事態だったのだ。
そして、彼らの話す「小津」がまた面白い。みなそれぞれの「小津」というものを持っていて、それらが全部異なる。あらためて、小津映画の世界の豊かさ、多様性というものを感じた。小津はけっして古びたりしない。常に私たちに新しさをもたらす。見る度に異なる一面をかいま見せる不思議な存在なのだ。
そういうわけで、どの話もとても興味深く、今後また小津の映画を見るときに参考になることばかりなのだが、私が引かれた箇所をメモしてみる。
ヴァンダの部屋』で有名なペドロ・コスタは、小津は「パンク」だと言っている。「私の視点から申し上げますと、私にとって小津監督は今ここにおられるマノエル・デ・オリヴェイラ監督と並んで、世界で最もパンクな監督、もしくは革命的な監督、常に先頭に立つ、寛大で永遠の監督だと思います。」(p.137)
私もそう思う。小津は「パンク」だと。さらにペドロ・コスタは、「パンク」の意味をこう説明した。

パンクというのは、人のなかにある子供の心、すなわり映画を作る者が持っているべき子供の心という意味なのです。小津監督もマノエル・デ・オリヴェイラ監督も、子供の心をお持ちでいながら、同時に老成したところがある。お二人とも、一方で五歳でありながらも、同時に八十歳でもある。こうした素晴らしい素質をお持ちだという意味でパンクという言葉を使いました。(p.137)

子供の心を持ちつつも同時に老成した精神を持つ、こうした豊かさの指摘はなるほど説得力がある。こういうところに、ペドロ・コスタの映画に対する才能をみて感動してしまう。
他に気になったのは、黒沢清が「小津の映画は速いという印象」があると述べているところ。海外の人から見ると、小津の映画は「遅い」と言われるらしい。たしかに、小津の映画はポンポンとテンポ良く展開するから「速い」という印象を私も受ける。だから小津の映画は静的である、というのには疑問に思う。
この本を読んだら、また猛烈に小津の映画が見たくなった。とにかく見られる作品はすべて見たい。そんな気持にさせる、罪な本だ。