小津安二郎『秋刀魚の味』

◆『秋刀魚の味』監督:小津安二郎/1962年/松竹大船/カラー/112分
夏に見て以来、2度目の鑑賞。この映画もかなり好きだ。前にも書いたかもしれないけど、『秋刀魚の味』は非常にテンポがよい。というか、物語の後半は、かなりスピーディーに物語が展開している。それは、大胆な省略があるからだ。
娘のお見合いの話を正式に友人に頼むシーンがあり、その次のシーンでは、もう結婚式当日の朝になっている。そして、結婚式に向かったところで、次のシーンではもうとうに式を済ませ友人宅で談笑しているシーンへと繋がっていく。後半のこの編集を、ぜひとも若い映画人は見習って欲しいものだ。映画は、だらだらと余計なショットを繋ぐものではないのだ。自分が観客に見せたいショット、あるいは自分が見たい箇所だけを提示すればよい。小津は、きっと自分自身が見たいと思う場面だけを大胆に繋いでいるのだ。この大胆な省略を見ると、そう思えてならない。
秋刀魚の味』と言えば、やはり蓮實重彦が指摘した「階段」のショットである。小津の映画では、階段が正面から映されることはない。まるで、階段など存在しないかのように、一階と二階が接続されているわけなのだが、遺作となった『秋刀魚の味』では、その不可視のはずの「階段」が唐突に登場するのだ。この「階段」についての分析は、蓮實の『監督小津安二郎』を参照してもらたい。
というわけで、私もこの「階段」を確認するために、きょうはしっかりとこの映画を見てきた。たしかに、「階段」が真正面から捉えられている。その存在感に、私は驚き圧倒された。これが小津映画の「階段」なのか!と。そしてこの真正面から「階段」を捉えたショットに続くのは、父の笠智衆を映したショットなのだが、ここで父はどうやらこの「階段」をじっと見つめているようなのだ。われわれ観客と同じように。そして、台所に行き、そこで水を飲むところで映画は終る。
人は、この「階段」のショットを、実際に映画(ビデオやDVDではなく)を見て目に焼き付けるべきである。このショットを見たことがないなんて、人生を半分棒に振ったようなものだ。せっかくこの世に生を受けたのに、この小津の「階段」を見たことがないなんて、なんて不幸な人生だろう!私にはそんな人生が存在することが信じられない。あらゆる人間は、この「階段」のショットを見るために生きているのだと思う。いや、生きているのだ。そうでなくては絶対におかしい。それこそ不条理なことだ。小津の「階段」を見たことがない人がこの世に存在しているなんて、そんな莫迦な話があっても良いのだろうか…。というぐらい、私は小津映画が好きなのだ!!!