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『バカの壁』の中で、情報は変化しない、変化するのは人間のほうだ、という話があった。この意見自体は、その通りだなあと思う。文学で考えれば、テクストは変化しない、しかしそのテクストから多様な意味が生まれるのは、そのテクストを読む人間が常に変化しているからだ。
人が変化するということでもう一つ面白い意見があった。年末に吉田喜重が小津安二郎について吉増剛造と語っていたテレビ番組をたまたま見た。その中で、吉田喜重は小津映画には反復とズレがあるという。小津映画では、淡々とした日常生活が反復されるのだが、しかしその反復には人が気がつかないうちにズレが生じていて、反復が決定的に不可能になるのがすなわち死に他ならないと。で、その象徴するシーンとして『父ありき』における親子で釣りをしているシーンが映し出されていた。
このシーンは、初めて見たがとても美しいシーンなので思わず目を瞠る。父親の釣り竿を息子の釣り竿が全く同じような動きを繰り返す。単純な動きだが、実に小津の拘りが窺える映像である。
反復とズレ。なかなか面白い解釈だなあと、その映像と共に記憶に残った次第。