研究者養成から「教育」へ

論座』2006年6月号に、「国立大学、3年目の回答」という特集がある。そこに広田照幸氏が「危機に瀕する研究者養成の場 人文・社会科学系大学院の現在」という論文を書いている。ここで、現在の大学院生の置かれた状況が論じられていた。
広田氏は、自身の経験から、現在の大学院がかつてのようは研究者の養成の場から「教育」の強化へと進んでいると指摘する。そして、その動きが、はたしてすぐれた研究者を育てることになるのかどうか疑問を呈している。
「教育」といえば、先のニュースでも、文科省が「徒弟制」の一掃を目指す大学院の改革を行うというものがあった。これによって、大学院がますます研究者の養成から「教育」の場として強化されていくのだろう。しかし、いくら学生を教育したところで、根本的な問題すなわち大学院生・若手研究者の供給過剰という問題を、文科省はどうするつもりなのだろう?
91年に大学審議会の出した「大学設置基準の大綱化」や「大学院の量的整備について」によって、大学院が拡充し大学院生が増加した。その一方で、大学教員のポストは増えなかった。広田氏は、大学の専任教員になれるのは「修士課程の入学者の10分の1から20分の1、博士課程の入学者と比べても6割弱となる」という金子元久氏の論文を引用している。研究者を目指して大学院の進学することが、リスクの高いものとなった。
そして、博士の学位が採用のための重要な要件となったために、大学院生の雰囲気を変えたとも指摘している。教員のポストが冷え込み、博士号が必須となり、大学院生は「ゆるゆると試行錯誤しながら知の共同体に参入していく、といった余裕を持てない」(p.62)という。とにかく博士論文を急いで書かねばならない状況に追いつめられているわけだ。
また、運良くポストを得たあとにも問題が残っている。広田氏は就職後の問題も指摘していた。どういう問題か。それは「研究者養成とは無縁な大学、大学院博士課程をもたない多くの大学の変化が、人文・社会科学の発展に与える長期的な悪影響という問題である」(p.63)。地方の国立大学や中堅以下の私立大学において、研究者の研究環境が悪化しているというのだ。
これまで大学院を終えた研究者は、地方の国立大学や中堅以下の私立大学といった研究者を養成しない大学に就職してきた。そこでは、雑務や授業負担がまだ少なく、研究を尊重する雰囲気があったので、若手研究者は自分の研究を深める機会を持つことができ、その中から中核的な研究大学へと戻る人材が輩出されてきたのだという。しかし、今やこうした地方の国立大学も中堅以下の私立大学も生き残りをかけて、研究より教育へ重点が移る。その結果、若手研究者は研究する余裕がなくなっている。――
なんとも世知辛い世の中になったものだ。こういう状況をみると、日本の人文・社会系の研究は冬の時代に入ったなあと思う。もう根本的な解決法はないのかもしれない。