愚痴

日本の大学は卒業生や修了生の追跡調査に必死だ。私のところにも、院を修了したときから、進路調査の依頼が何度かきた。
要するに、特に修了生の進路を大学側の業績として報告して、いかにすばらしい教育を行っているかを証明しないといけないのだろうが、そんなことつまり大学の資金稼ぎのために自分自身が利用されるのは迷惑だなと思う。
院を修了しても、就職や進路についてはまったく世話をしないくせに、院を修了した学生が必死になって就職すると、それは大学のおかげだとされる。「大学は就職の世話をしろ・世話をすべきだ」とは言わない。そんな必要もないと思う。しかし、大学は実際何もやっていないのに、あたかも学生の進路や就職活動のために何かをやりましたと報告し、そして教育で実績を上げていますと宣伝するのは許せない。面倒なところは学生に任せ、おいしいところは大学がもっていく。学生自身の努力の結果をかっさらうような大学の態度には不満がある。進路調査は、大学に抵抗するために、かならず「無職」と報告したほうがいいのかもしれないなどと思う。特に全国の大学院生(修了者)が、いっせいに進路調査で「無職」の報告をすれば、大学もなんらかの変化を余儀なくされるのではないか。
たしかに、論文を書くために、大学にお世話になったので、就職できたのも大学教育のおかげといえるかもしれない。それでもやはり現状の院の様子からいえば、自分の努力を大学の業績として報告されるのには納得できない。