古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート』

古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート』文春文庫、2006年1月
古川日出男の作品を読むのは2度目だ。以前、『LOVE』を読んでみたが、正直な感想として、それは面白くなかった。私には古川日出男作品が合わないのかもしれない。
しかし、一度で諦めるのも悔しいので(『二〇〇二年のスロウ・ボート』の主人公だって、東京脱出に3度も挑んでいたし)、文庫でしかもすぐに読めそうな本作を読んでみたのだ。
結果は、というと、――やはりダメだった。これも読了直後の率直な印象は、面白くないだった。どうして、この作品をあるいは古川日出男の作品を面白くないと感じてしまうのか。それは、「村上春樹」の存在が原因のひとつだと思う。
この作品は村上春樹の作品のリミックスであることが大きな特徴である。作者による解題のなかで、村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』が「ルーツ」であることが熱く語られている。また『中国行きのスロウ・ボート』以外の村上春樹作品も本作に影響を与えていると思われる。村上春樹という存在が鍵を握っている作品だが、この村上春樹の存在が私にはやっかいなのだ。私は、村上春樹の作品があまり好きではない。正確には、昔は好きだったが、最近は好きでなくなってきている。そんなわけで、村上春樹の匂いがする小説を読むのも苦手なのだ。
それから、この『二〇〇二年のスロウ・ボート』は、「東京」がもう一人の主人公といえそうなのだが、ここで語られる「東京」に共感できなかった。「東京」を描いた小説全般が苦手なのではなく、この小説に登場する「東京」に共感できなかったのだ。というのは、「東京」に私は思い入れがないからだ。そもそもずっと地方で生きてきたので、「東京」をよく知らないし、「東京」は身近な存在ではないのだ。これは、単なる私の妬みにすぎないが。
村上春樹」と「東京」、これらが私にとって鬼門になるのだと思う。本作品を私が楽しめなかったのは、この二つに反感を抱いているからかもしれない。

二〇〇二年のスロウ・ボート (文春文庫 (ふ25-1))

二〇〇二年のスロウ・ボート (文春文庫 (ふ25-1))