「近代」はどこに行ったのか

(注:このエントリーは下の「反省と課題」というエントリーと合わせて読んで頂きたい。)
『新潮』2005年12月号を買った。星野智幸論を読んでみたが、ひとつ疑問に思うことがあった。ここでは、この論の冒頭に注目してみたい。星野論の冒頭は次のようなものだ。
近代文学」は終わったというけれど、そもそも日本で言う「近代文学」の「近代」とは、「近代」そのものではないのだ、正確には「近代化の時代」という意味なのだ。
したがって、近代文学とは、英仏を「先進国」とし自らを「後進国」と位置づけた国に発生した《「近代化」文学》のことだと論者は主張する。
このような「近代文学」(つまり「近代化」文学のことだろう)と、今私たちが接している言語表現(=これを「現代文学」と論者は言う)の間には「切断面」があるとする。この切断は、言語表現が洗練したために生じたのではなく、たんに政治経済や社会における「近代化プロセス」の終焉によるものにすぎない。――
冒頭箇所を私に要約してみたが、ここで論者が何を示したいのかよく分からない。日本は「近代」を達成したかどうかは、もちろん既出の問題で、それぞれの歴史認識によって様々な立場があることは私も理解している。なので、論者が日本の近代は「近代化」であって、「近代」そのものではなかった、という認識も成り立つであろう。論者は、ここで「近代化プロセス」が終焉したと言っている。問題は、今現在を論者はどう認識しているのかということである。
「近代化プロセス」が終焉したというのであれば、ようやく日本は今になって「近代」になったということであろうか。ということであれば、論者の言う「切断」は、正確には「近代化」文学と「近代文学」との間に存在することになるのではないか。だが、論者は「近代文学」と「現代文学」の間に切断面があるという。このあたりが理解できない。
それとも、「近代化プロセス」の終焉後にやってきたのは「現代」であるというのが論者の歴史認識なのだろうか。たしかに、こう考えると論者の論は筋が通る。しかし、「近代化」の次は「現代」と考えても良いのかという問題が生じる。「近代化」というのだから、少なくとも「近代」を目指していたはずだ。だが、いつしか目指していた「近代」が消えて「現代」にたどり着いてしまった。いったい「近代」はどこに行ってしまったのだろうか。論者は、日本には「近代」などなかったし、これからもありえないと言いたいのだろうか。これが論者の歴史観あるいは「近代」観なのか。
それにしても、「日本でいう「文学」あるいはそのほぼ同義語である「近代文学」」というさりげない一文が書かれてあるが、これはあまりにも自分勝手な決めつけではないだろうか。こんな用法は、論者の周囲にだけ通用する非常に特殊な用法だとは思わないのだろうか。それから、もうひとつ不用意だと思った記述がある。

思えば、三島由紀夫の結成したオモチャのような「軍隊」は、あのことごとしい自死のパフォーマンスを除けば、ただの一度も反乱を起こすことはなかった。一方、(三島由紀夫は果たして読んだのだろうか)ガルシア=マルケスの『百年の孤独』では、アウレリャノ・ブエンディア大佐が三十二回にわたって反乱をおこし(以下省略)(p.213)

マルケスの小説『百年の孤独』を三島は読んだのかと、括弧内に入れて挿入している。おそらく、思いつきで書いたので括弧で括ったのであろう。そして、この挿入文は三島に対する皮肉のつもりなのだろうが、これはちょっと意地が悪い。というのも、『百年の孤独』の翻訳は1972年に出ている。三島は周知の通り1970年に亡くなっているので、当然三島は翻訳の『百年の孤独』など読めないどころか手にすらできなかった。『百年の孤独』は1967年の出版なので、原書ならば三島は読めたかもしれないが、三島がスペイン語をスラスラと読めたその可能性は限りなく少ない。それならばと思って英語版がいつ出たのかを調べると1970年だった。英語版なら三島は読めたかもしれないが、1970年の三島の状況を考えると『百年の孤独』のような大作を読んでいる余裕はなかっただろう。
翻訳がない時なのに、「三島は果たした読んだのだろうか」などと書くのは、論者の勉強不足か、あるいは三島に対して少々悪意をこめているのか。たとえ読める可能性があるとしても、状況を考えれば、三島が『百年の孤独』を読むことは不可能に近いのは明らかだ。それなのに、どうしてわざわざこんな挿入文を書いたのか理解できない。
それから、三島の「軍隊」は、あくまで防衛のための「軍隊」だったのではないか。別に日本で反乱を起こすために結成したのではないのだから、「ただの一度も反乱を起こすことはなかった」というのは当然のことだろう。