反省と課題

上記のエントリー(「「近代」はどこに行ったのか」)は、読み直してみると非常に内容が悪いことに気がついた。書いているときには気が付かなかったが、いくつか重要な批判を頂いたので、それらをふまえて反省し、今後に役立てたい。
まず、重要な問題は、三島がスペイン語が読めたかどうかということである。これは、私の文章がいい加減であった。たしかにこのエントリーでは裏付けを取っていないのだから、何とも言いようがないことであった。このことを取り上げて批判しても仕方がない。このエントリーは、批判のための批判でしかない、という批判はその通りである。裏付けを取らずに批判めいたことを書いたことを反省したい。今のところ、私は三島の全集を半分ほど読んだが、まだスペイン語関係について私自身では見つけていない。もしかすると、未読の箇所に何かあるかもしれない。あわせて研究書を調べて、三島がどの外国語を身につけていたかを調べていきたいと思う。
星野論にもかかわらず、星野論について触れなかったことも良くなかった。これは、私自身の勉強不足が原因である。というのも、星野作品を全部読んでいないので、論の中身を深く検討することができないのだ。これは、私の怠慢であると批判されても言い逃れできない。作品を読んでいないのだから、この星野論を批判するべきではなかったのだ。私こそ「不用意」な文章を書いていた。このような自分自身の軽率さを反省し、できるだけ早い内に星野作品を読むように努めたい。
今回は、すべて私の怠慢、知識不足からひどい内容の文章を書いてしまった。本来ならば、上記エントリーは消して人目に触れないようにしたい(実際そうした)のだが、それでは自分にとって都合が良すぎると思ったので、あえて恥を晒すことにした。このエントリーのような重大なミスをしないように気をつけていきたい。
上記エントリーに対する貴重な批判には感謝したい。