三島由紀夫「お嬢さん」

三島由紀夫「お嬢さん」(『決定版三島由紀夫全集8』新潮社、2001年7月)
昭和35年の1月から12月まで『若い女性』というところで連載された。昭和36年には、弓削太郎監督によって映画化されている。
作中に、「永すぎた春」なんていう言葉が出て来るのだが、これはもちろん三島自身の『永すぎた春』という作品を意識している。三島自身、「「永すぎた春」といふ小説のその先の人生を書きたい」と述べていた。『永すぎた春』では、婚約期間が長かったゆえに生じた心理的な変化を描いていたが、「お嬢さん」では婚約期間から結婚まではあっという間で、その後の新婚生活における女性の心理の動きを分析している。
「かすみ」と「景一」は理想的なカップル。何の障害も起きずに結婚したのだが、新婚生活でかすみは景一をいろいろと疑うようになる。以前、景一に結婚するように迫った女性「浅子」の登場が不安を引き起こしたり、かすみの兄の妻である「秋子」と景一が実は付き合っているのではないかと邪推したりして、ひとりで思い悩むかすみ。かすみの心境を、つぎのような一節が物語っている。

ここまでじつと無言で景一の話をきいてゐるあひだ、かすみの精神的姿勢は、抵抗の一語に尽きてゐた。丸め込まれまい、だまされまい、といふ一心で、景一の一言一言を、トランプの札を裏返すやうに、神経質に裏返してゆくけれど、言葉が手より早くて、はうばうに裏返せない札が残つてしまふ。すると、それをそのままにしておきたい弱気と未練も起り、しかもそんな弱気と必死に闘つてゐるのである。(p.437)

景一が、秋子との間には何の疑わしいことはないのだと切々とかすみに説明する場面で、かすみは必死になって景一の言葉を疑おうとしていく。かすみの心理のネガティブな動きを、「トランプの札を裏返すように」と書いているところが、面白いと思う。マイナス思考の時は、たしかに、一枚一枚トランプの札を裏返すように、あらゆることを悪いほうにもっていく。うまい比喩だ。

決定版 三島由紀夫全集〈8〉長編小説(8)

決定版 三島由紀夫全集〈8〉長編小説(8)