佐伯彰一『評伝 三島由紀夫』

佐伯彰一『評伝 三島由紀夫』中公文庫、1988年11月
「評伝」とタイトルのあるけれど、実際は著者の三島論を集めた本だといっていい。だけど、各論はさすがにどれもすばらしくて参考になる。これまで何冊か三島の研究書を読んできたけど、私の理想とする研究方法に一番近い本だった。三島研究として信頼できる一冊である。
次の箇所が一番印象に残った。

 三島は、多力的な表現者であり、さまざまな機会とメディアを利用して、自らのイメージをまき散らしつづけた。それだけに、足跡や指紋をやたらに残したまま姿を消した犯人にも似て、実体をとらえるための手掛かりはいくらも見つかるのだが、その余りの数多さ、多様さが眩惑的というばかりか、間断ない自己顕示は、しばしばもっとも効果的な自己隠蔽の道とつぶやかざるを得ない。巧緻無頼の犯行者の現場に似て、三島自身が残そうと思ったイメージと痕跡ばかりで、肝心のところは、きれいに消し去られている。彼が同時代の読者に、また後世に対して残そうと望んだ自己イメージは、明確判然と定着されているが、一歩その後ろに忍びこもうとすると、案外に隙間は見当たらない。三島の残したくなかった行跡は、案外に見出し難いのだ。(p.182)

三島に対するのこの印象は、私にもよく分かる。三島は、あまりにも多くの足跡を残しすぎる。だけど、あまりのたくさん手掛かりがあるので、かえってそれらが「三島由紀夫」を読むことを妨げているような感じがする。多くの手掛かりからは、たしかに「三島由紀夫」像が簡単に作れるのだが、一旦この像ができてしまうとそこから抜け出すのが難しい。三島の残した分かりやすい手掛かりに誘惑され、どうしても誤読させられてしまっているような気がして、三島の作品を読むのは難しいと私には思うのだ。三島に先を越されているなあと。結局、ここから抜け出すには、細部を積み上げていくしかないのだろう。