メモ――「極西」とは何か

「いま準備中の星野論、古川・舞城論はそれぞれ別の雑誌に載る別の原稿だが、自分では『続・極西文学論』としてまとめられるくらいの分量に、最終的にはなるように書きたいと思っている。」ということなので、きちんとした評論になったときに再度検討できるようににメモしておく。

「極西」のあやしさ

いきなりこんなことが書かれてある。

この本を最初に読んだのも、やはり15年くらい前だったろうか。いまの視点から『百年の孤独』を読みなおすと、この作品がまぎれもなく1960年代末における「極西小説」だったことがわかる。この作品が発表されたのは1967年、ガルシア=マルケスが39歳のときである(ちなみに川端康成が「極東小説」の典型である『雪国』でノーベル文学賞を受賞するのが翌68年。ガルシア=マルケス自身がノーベル賞を取ったのは82年になってから)。

毎度のことながら、「極西小説」の意味が分からない。『極西文学論』を読んだときに、私が疑問に思ったのは、この「極西」についてであり、著者が「極西」ということで何を指しているのか、「極西」の定義が本のなかできちんとなされていないのではないかということだ。それゆえに支離滅裂な評論になっていると。
『極西文学論』のなかで、村上春樹の「神戸まで歩く」という文章を取り上げている。村上春樹は、この文章で「阪神大震災とはいったい何だったのだろう?」「地下鉄サリン事件とはいったい何だったのだろう?」と考え続け、「それらの二つの出来事は、別々のものじゃない。一つを解くことはおそらく、もう一つをより明快に解くことになるはずだ」という結論に達する。この箇所について、仲俣はこう批判した。

 この考えは、常識的に考えればとても異常である。「阪神大震災とはいったい何だったのだろう?」という村上の問いは具体的に何を意味しているのだろう。彼にとって神戸(そして、その近郊のあの「街」)がもつ意味がわからない限り、私たちにはこの問いがなぜ、「地下鉄サリン事件とはいったい何だったのだろう?」という(これだけ取り出せばまっとうな)問いと繋がるかを理解できない。そして、村上春樹はかなり用心深く、現実の神戸を描くことを避けてきた。(p.81)

この村上春樹への批判の言葉を、そっくり仲俣自身に送り返したい。私もまた「極西」の持つ意味が分からない限り、たとえば「極西」であることと上空からの視線の問題が接続してしまうのかが理解できない。仲俣が「私たち」の立っている「具体的な場所」(p.228)の問題として、視線や恐怖について論じているとしても、なぜそれらを論じるのに「極西」という言葉を持ち出さねばならないのか、終始問われることがなかった。仲俣は、「自分たちが立っている場所」が「極東」というより「極西」であると、「いちどはっきり認識する必要がある」とただ記すだけだ。(p.234)そもそも、なぜ「極西」であると認識する必要性があるのかという問いを排除してしまっている。あたかも「極西」であると認識することは、現在では当然のことだと言わんばかりに――。

吉本隆明批判を批判する

ところで、上空からの一方的な視線の問題について、『極西文学論』では、吉本隆明の「世界視線」が、上空からの一方的なまなざしを肯定的に捉えているとして批判されている。しかし、この吉本批判には疑問が残る。
1981年にレーガンが大統領に就任し、SDI構想を打ち出す。その前にもNATOが、西ドイツに中距離核ミサイルの配備を進めており、この動きに対してはヨーロッパ各地で抗議デモが生じる。日本でも、それに反応し、中野孝次らが中心となり、1982年に文学者による署名運動、「反核運動」が起きた。この文学者による署名運動に対し、吉本隆明は「ソフト・スターリニスト的だ」として批判したという。(参照p.37)
さて、このような吉本に対して、仲俣はこう批判する。

 文学と政治の関係をめぐるそれ以前の論争史とのかかわりを抜きにすれば、吉本隆明はこのとき、「核」という垂直方向の運動に対して「デモ」や「署名」といった水平方向の運動を対置することの無意味を言っていたと考えられる。吉本は「知識人」と「大衆」とが対立するときは「大衆」を優位に置きながら、「高さ」と「地上性」とが対立するときにはなぜか「高さ」のほうを優位に置いたことになる。(p.37)

こうして、吉本の「世界視線」という概念を批判するのだが、この批判は適切ではないのではないだろうか。私はこの「反核運動」やそれに対する吉本の批判について知識がないのだが、この仲俣の文章を読む限り、吉本が批判したのは「文学者」による「署名運動」だということになる。「大衆」による「署名運動」ではなく、「文学者」であることに注意したい。はたして「文学者」は「大衆」なのか「知識人」なのだろうか。
私は、「文学者」は「知識人」の一人であると考えてきた。したがって、吉本が「文学者」の「署名運動」を批判したというのは、これもやはり「知識人」批判の一つだったのではないかと考える。仲俣は、「吉本は「知識人」と「大衆」とが対立するときは「大衆」を優位に置きながら、「高さ」と「地上性」とが対立するときにはなぜか「高さ」のほうを優位に置いたことになる」というのだが、少なくともこの文脈では、この吉本批判は的はずれであろう。吉本は、一貫して「知識人」=「高さ」を批判していたのではないだろうか。
仲俣は、吉本のいう「ハイ・イメージ」を支えているのは、「高度情報化」や「高度資本主義」であり「ハイテク」すなわち初期の「IT技術」であるという。そして、「このような絶対的な他力本願という本質をもつ「ハイ・イメージ」は、あきらかに「高度資本主義」への屈服を意味している(p.39)」と批判した。先の批判が的はずれだとすると、ここの吉本批判にも疑問を呈せざる得ない。
吉本の言う「ハイ・イメージ」やら「世界視線」を、次のように見なすことはできないのか。つまり、「ハイテク」といった高度な技術を、「世界視線」を持ち出すことで、吉本もまた地上に住む人間側による奪用化(しようと)したのだと。これについては、吉本の『ハイ・イメージ論』を再検討しなくてはいけないので、今すぐに答えはでないが、結果として吉本がやはり上空からの一方的なまなざしを肯定していたとなっても、この箇所における仲俣の吉本批判のプロセスには、強硬に吉本を批判したいがための曲解が入っていると言える。

一方的な議論

結局、仲俣暁生が言う「極西小説」とは、仲俣暁生が「極西小説」と認定した小説のことである、ということではないか。『極西文学論』やはてなダイアリーに書かれた文章を読んでいると、そうとしか考えられない。この定義は、最強というか、無敵だと言って良い。誰も反論できない。『極西文学論』では、一方的な上空からのまなざしが批判されていたが、本書自身が独善的なのではないか。別にポパーとか持ち出さなくてもいいが、仲俣には反証可能な評論を書いてもらいたい。最近なら、伊勢田哲治氏の『哲学思考トレーニング』が参考になるし、戸田山氏の『論文の教室』などもお薦めの本だ。
今回も、いきなり『百年の孤独』が「極西小説」だったとある。これだけでは、何を言っているのか当然分からない。いや、これはメモ書きであり、雑誌に載せる評論ではきちんと説明しているのかもしれない。そうなると今の段階では反論は不可能だ。とりあえず保留しておくしかない。もうひとつ、『雪国』が「極東小説」だともある。これもまったく根拠がないために、反論することができない。しかし、『百年の孤独』と『雪国』の違いがどこにあるのかが気になる。
それにしても、たしか『極西文学論』のなかで、舞城の西暁町が東京から見て西にある?ことが、舞城の小説が「極西小説」である理由の一つではなかったか(本が手元にないので今は確認できない)*1『極西文学論』の第一章で、舞城の『煙か土が食い物』が取り上げられている。この小説は、「アメリカ西海岸のサンディエゴから福井県西暁町に向かう奈津川四郎の「西向き」の運動」(p.13−14)から始まることに注目している。四郎は、「東京から陸路を列車で西向きにたどり、米原ではじめて「北」に転じ、西暁町に向かう(p.15)」。また阿部和重の『ニッポニアニッポン』の春生についてこう指摘している。「本州の北部山間部にある東根市神町から少し南に下がった西の日本海上には、佐渡という大きな島がある。春生が目指す目的地がこの島である(p.70)」。「だが、そこへ向かう春生の運動の起点となるのは、神町ではなく東京である(p.70)」。
こうしたものを「西」への移動と言うのであれば、『雪国』も「西」への移動をしていると言っても良いのではないか。強引であることを承知しながらあえて言うが、『雪国』の舞台となっていると言われている(作中でははっきりしていない)越後湯沢も、東京からほんのわずかだけど「西」なので、『雪国』にも「西」向きの移動が見られると論じることも可能なのではないか*2仲俣暁生にとって、舞城の小説と『雪国』の違いはどこにあるのか。テクストから「具体的」に「根拠」を挙げて説明してほしい。

漱石以後の日本文学

夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」が出版されたのは1905年のことだから、ちょうど今年で百周年。星野、舞城、古川の三人の小説に見られるもう一つの共通点は「愛」という主題だ。彼らこそ、漱石以後の「現代日本文学」における愛の不在、つまり「百年の孤独」を埋めてくれる作家たちなのではないか。

近代文学を専攻する者としては、この箇所を見逃すわけにはいかない。いつの日か、どういうことなのか、きちんと説明してもらいたいものだ。この文章で言う「愛」とは何か?。「漱石以後の「現代日本文学」における愛の不在」とは何か?。
しかし、漱石以後の日本文学をきちんと読んでいるのだろうか?。

*1:ここは、あきらかに私が誤読・誤解していた。以下書き直してみた。

*2:地図を参照すると、『雪国』を「西」の移動というのはやはり強引すぎたなと反省。