川端康成『名人』

川端康成『名人』新潮文庫、1962年9月
私は、将棋や碁についてほとんど知識がないし、囲碁は一度もやったことがないので、この小説のなかの勝負の展開は理解できなかった。しかし、それでも最後のと言っても良い本因坊秀哉(しゅうさい)名人と大竹七段の勝負は、非常に読み応えがあった。端的に、面白い小説なのだ。
本因坊秀哉名人の引退碁であると木谷実七段(小説中では大竹七段)との対戦が行われ、その観戦記は昭和13年の6月から12月にかけて東京日日新聞に連載されたという。途中、名人が入院したこともあって、勝負は半年にもわたって行われたのだ。この時の体験が、この小説の元になっている。実際の碁がどのように行われるのか知らないけれど、互いに持ち時間を40時間と決めたので、時に2時間も3時間にも及ぶ長考がある。したがって、一日の対戦ではほとんど進まない時もある。まさに究極の対戦なのではないか。
この本因坊秀哉名人というのは、名人だけあって、一つ一つの対戦は勝負ではなく、芸なのだ。いかに名局を作り上げられるか、このことが勝ち負けよりも大切なことなのだ。一方で、大竹七段は勝負の鬼であり、名人といえども、わがままな要求は許さない。徹底的に公平な立場で、純粋に勝ち負けを決めることにこだわる。芸としての碁と勝負としての碁の対決なのだ。時代は、大竹七段のようにきちんとルールを整備して、はっきりと勝負をつける方向へ向かっている。名人のような碁つまり芸としての碁が、消えていかざるをえない時代だったのだ。

すべてせせこましい規則づくめ、芸道の雅懐もすたれ、長上への敬恭も失われ、相互の人格も重んじないかのような、今日の合理主義に、名人は生涯の最後の碁で苦しめられたと言えぬでもなかった。(…)相手が名人といえども、あくまで公平の条件で戦おうとするのが当世で、大竹七段一人のせいではなかった。また碁も競技であり、勝負だから、それが当然なのだろう。(p.48)

だが、芸としの碁にこだわる名人。名人は、公平な勝負のためにいろいろ妥協をしてきた。しかし、最後に許せない出来事が起きる。大竹七段の封じ手である「黒百二十一」だ。この手が、この勝負のクライマックスでもある。観戦者でありこの小説の語り手の「私」は、この「黒百二十一」をこう述べる。

まるで劫立てのような手だと、素人目にも感じると、私はさっと胸が曇って波立った。大竹七段は封じ手のための封じ手を打ったのか。封じ手を戦術に使ったのか。卑怯で陋劣だと、私は疑った。(p.144)

この手に対し、名人は激しい怒りを見せる。《「あの手を見た時に、私はよほど投げてしまおうかと考えた。これまでという意味でね……。投げた方がいいかと思った。しかし決心がつきかねて、考え直しました。」(p.147)》

名人はこの碁を芸術作品として作って来た。その感興が高潮して緊迫している時に、これを絵とするなら、いきなり墨を塗られた。碁も黒白お互いの打ち重ねに、創造の意図や構成もあり、音楽のように心の流れや調べもある。いきなり変梃な音が飛びこんだり、二重奏の相手がいきなりとっぴな節で掻きまわしては、ぶちこわしである。碁は相手の見損じや見落しによっても、名局を作りぞこなることがある。大竹七段の黒百二十一は、とにかく皆が意外で、驚き、怪しみ、疑ったのだから、この碁の流れや調子を、ぷつんと切ったことは争えない。(p.148)

結局、このあとは大竹七段のほうへ勝負は傾き、「不敗の名人」は引退碁において敗れてしまう。こうして勝負としての碁が、芸としての碁に取って代わったのだろうか。最後の名人だったというべきなのか。碁の世界は、まことに奥が深い。そして、この奥の深い世界を見事に小説に仕上げた川端もすごい。

名人 (新潮文庫)

名人 (新潮文庫)