『ロング・エンゲージメント』について

昨日の日記では、この映画について詳しく書かなかったので、もう少し思ったことを記しておきたい。そもそも、私はこの映画の結末には納得しない。あまりにもご都合主義だと思ったからだ。そのことについて、少し考えてみたい。(以下は、物語の結末を分析しています。)
物語は、結局マネクを見つけることでハッピーエンドになるのだが、この時、婚約者マネクはなんと唐突に「記憶喪失」になっていて、昔のことをみんな忘れてしまったというのだ。もちろん、マチルドのことも忘れているし、かつてマチルドを愛していたことも忘れている。それでも、マチルドはマネクに再び会えたことに深く感動するのだが。彼女にとって、彼が生きていたこと、それが重要なわけだ。
物語のこの後を想像してみると、おそらく彼女たちは再び「恋愛」を始めるのではないだろうか。すべてをリセットして、もう一度二人の「愛」を開始する。物語の結末はそのことを暗示している。そのとき、過去のリセットの方法として「記憶喪失」が求められたのだ。この導入は、安易な方法ではないか。私の違和感はここにある。ラストがご都合主義だというのも、このことを指して述べたものだ。
つまり、「記憶喪失」によって、マネクの悲惨の戦争体験をすべてなかったことにしてしまったのだ。この映画は、マチルドがマネクを捜索する過程で、戦場でマネクと一緒に死刑を宣告された者たちの物語が語られる。マネクを除く男たちや、その関係者はみな「戦争」によってその人生が狂わせられてしまった。一番悲惨なのは、復讐を演じたティナかもしれない。いや、二人の男性の間で苦悩した女性かもしれない。とにかく、彼ら/彼女たちの人生には今後もずっと「戦争」の影がまとわりつくだろう。それは、けっして忘れることのできないものなのだ。
おそらく、マネクも「記憶喪失」にならなかったならば、戦場のマネクの状況を見る限り、彼はまともな人生を送れるような状態ではなかった。たとえ奇跡の生還をしたとしても、「戦争」は彼を廃人にしてしまったことだろう。ラストの場面のように、あんな穏やかな表情したマネクなど考えられない。そんな状態では、きっとマチルドとマネクは「愛」を再開することなど不可能なはずだ。「戦争」が絶えず二人の「愛」を邪魔するだろう。その「愛」は不幸なものになる可能性があったのだ。
だが、物語はそのような不幸をマチルドにもたらさない。物語はあくまでマチルドに味方する。マチルドは物語に保護されているのだ。彼女の直観とは、物語の保護ということにすぎない。だから、最後に物語は「記憶喪失」を与えた。「記憶喪失」は一見すると、よくない事態だと思うかもしれない。しかし、「記憶喪失」のおかげで、「戦争」という影を振り払うことが可能になる。そして、二人は穏やかな光に包まれたユートピア的な空間で何の問題もなく「愛」しあっていくことになるだろう。マネクの「記憶喪失」は、物語を強引にハッピーエンドにするためだけに要請されたに過ぎない。これはご都合主義だと言わざるを得ない。あまりに安易な解決法だったと。
果たして、原作の小説はどうなのか?。私はそのことが気になる。だから、一度原作を読んでみなくてはと思うのだ。