矢口史靖『スウィングガールズ』

◆『スウィングガールズ』監督:矢口史靖/2004年/東宝/105分
オリバー・ストーンの超大作を見た後に、あまり良い言い方ではないが、こぢんまりとした作品を見る。しかし、映画の規模は段違いに差があっても、作品そのものの質は、こちらのほうが断然上ではないか、そんなことを強く感じた。もちろん、この映画の物語そのものはワンパターンだ。平凡の女子高生が、ふとしたきっかけでジャズに興味を持ち、いくつかの困難を乗り越えて、いちおうの成功を収める。この展開は、物語の一つの典型と言えるだろう。しかし、そんなことを批判しても仕方がない。ここは、矢口史靖らしいと思えるところを探し出すべきなのではないか。
私の中での矢口史靖映画のイメージは、主人公が徹底して不幸に見舞われ、ある意味サディスティックにまでその人物を痛めつけるが、そこに笑いがある、というものだ。昔見た映画の記憶なので、まちがっているかもしれないが。
さて、物語の発端となる吹奏楽部員の食中毒事件、ここが面白い。まるで戦場で負傷した兵士のように、食中毒を起こした部員たちが球場のトイレの周辺で倒れている場面だ。ホラー映画のパロディのようだった。この描き方がよい。
それから、ドラムをやる女の子が、土手でアイスを食べていて、すっと立ち上がるとお腹がふくれてスカートが破け、脱げてしまう。ちょうど通りかかった自転車に乗った中学生が、思いっきり土手を転げ落ちる場面も矢口史靖らしい。あきらかに人形と分かるものが、自転車とともにぐるぐる回転しながら土手を落ちていく。まったくあり得ない転び方なのだ。しかも、その後中学生は何事もなかったように、また自転車に乗って去っていく。この不条理なギャグが、矢口テイストなのではないか。不条理な不幸といえば、野球を見に来たトランペットの女の子にファウルボールが直撃してしまうのも同じだ。こうしたギャグがよい。
また、「お約束」的なギャグとして、イノシシに友子たちが襲われる場面があるが、ここは静止画で表現していて、それがまるでギャグまんがのような効果を生む。自転車の転げ落ちる場面と同様に、ひどく安っぽい映像であるが、あえてチープさを強調することが、おそらく矢口史靖の映画なのだろうと思う。
サクセスストーリーという紋切り型の物語に、こうした一連のチープさを挿入するところに、作家性を強く感じ、そこにこの映画の面白さを見る。紋切り型の物語であっても、それをいかにして自分のものにするのか。そう、この映画の主題は、何かを自分たちのために作り替えていくこと、ということなのではないか。つまり、ジャズという自分たちのそれまでの環境では、ほとんど縁がなかったものを、自分たちの手で、自分たちのものへと作り替えていく。
田舎でジャズをすること。そこに、「ファスト風土」化する地方に対する抵抗を見る、というのはあまりにもカルチュラル・スタディーズ的な解釈であろうか。しかし、ブランド品のバッグが、楽器に変わって、ビッグバンドを形成するあたり、ちょっと感動的ではないか。そこに何かに対する「抵抗」をつい見たくなってしまう。これは、あまり良い解釈とは言えないのだが…。