オリバー・ストーン『アレキサンダー』
◆『アレキサンダー』監督:オリバー・ストーン/アメリカ/173分
映画の日に何を見ようかと探していたところ、近所の映画館で『アレキサンダー』をやっていた。監督の名前を見ると、オリバー・ストーンとあるので、とりあえず見に行くことにした。上映時間が3時間近い大作なのだけど、見ている途中で虚しくなった。物語自体、アレキサンダー大王の人生のむなしさを描いているように思えたし、それよりなにより、こんな大作を作る必要があったのだろうかということにむなしさを感じた。
唯一の見所は、アレキサンダーの東征へのキーポイントとなるペルシャとの戦いだろうか。かなりの時間を費やして先頭場面を作り上げている。ものすごい数の人を使った戦闘場面は、お金があるハリウッドでしかできないのだろうなあと思う。大量の人間が、広大な大地で繰り広げる戦闘を俯瞰するというのは、たしかに「神」になったような気がする。ここはやはり大きなスクリーンで見ないと、「神」の視点を感じることができないだろう。これこそ、映画の醍醐味と言えるだろう。
しかし、この場面以後、ほとんど見るべきものがない。東へ東へと、大帝国を移動させ続けるアレキサンダーのむなしさだけが残る。この映画のアレキサンダーは、啓蒙的でリベラリストとして描かれている。だけど、抵抗する者は敵だろうと味方であろうと殺してしまう残忍さも持ち合わせている。こういう人物造型に対しては、状況論的に読み解き、何らかの批判精神を見出すことは可能なのだろうけど、それは凡庸な言葉になってしまいそうだ。アメリカの批判を読んでも、なんとなく退屈してしまう。
そして、これまた凡庸な映画の見方なのだが、どうしてもこの映画における「他者」の表象に違和感を覚える。ペルシャの王は、ダレイオスと呼ばれ、アレキサンダーもそれなりに敬意を払っている。当時の世界の支配者であったから当然なのかもしれない。だが、その後の東征においてアレキサンダーが対峙する「敵」は、ほとんど何者なのかが分からない。とにかく「アジア」と戦っている。では、征服している「アジア」とは何なのか。おそらくアレキサンダーには分かっていないし、この映画の作り手であるオリバー・ストーンですら分かっていないのではないか。正体不明の何かと、戦い続ける/続けようとするアレキサンダーに狂気を感じる。その狂気は、たとえば「ホラーだ、ホラーだ」という『地獄の黙示録』と同種のものなのではないだろうか。
要するに、この映画は紋切り型の映画だという、これまた紋切り型の批判に陥ってしまうわけだが、そもそも映画それ自体が凡庸なのが原因なのかもしれない。