小津安二郎『東京物語』

◆『東京物語』監督:小津安二郎/1953年/松竹大船/白黒/135分
思えば、この『東京物語』は何回見ているんだろう。4、5回は見ているはずだけど、やっぱり素晴らしいと思う。きょうも、映画を見ていて何度も泣きそうになる。
今回見て、気がついたことは、この映画には「時間」の主題があったことだ。たとえば冒頭の場面では、父(笠智衆)と母(東山千栄子)が東京へ出発する準備をしているが、ここで父が見ているのは汽車の時刻表だ。たしか大阪に着く時間を話していた。大阪は三男が働いているところだ。この三男は国鉄職員なので、これは時間にまつわる仕事だと言って良い。汽車は時間の正確さが重要なのだから。最後の場面では、末っ子で学校の教師をしている京子は、紀子(原節子)の汽車の出発時間を気にして、何度も腕時計を見ている。
もちろん、時間は父と紀子の最後の対話の場面でも登場する。紀子が「とんでもない」と声を荒げるとき、父は紀子に「お母さんの形見に取っておいてくれ」と懐中時計を渡す。これは、時間を次の世代へと伝える儀式なのかもしれない。
ちなみに懐中時計は、『珈琲時光』で陽子は肇に台湾で買ってきたおみやげとして送る場面に受け繋がれていることは言うまでもない。さらに『珈琲時光』の冒頭が、洗濯物を干している陽子の姿を映しているのも小津の影響だ。小津の映画では、洗濯物が頻繁に映る。『東京物語』でも、すばらしく晴れた空の下に、真っ白い洗濯物がたなびいているショットが何度か挿入されている。
時間の話に戻ると、一つ気になることがある。それは、母の死に際に、三男が遅れてしまうという決定的な出来事のことだ。なぜ、三男が遅れるのか。物語では、出張で電報を受け取れなかったと答えている。物語のレベルでは、その答えで充分だろう。だけど、はじめに指摘したように、三男は国鉄職員であり、その仕事において重要なことの一つに「時間」に正確であることがあげられる。その三男が、母の死に遅れるのだ。兄弟間で、もっとも時間と深い関係にある人物が、きわめて時間が大切な場面において決定的な遅刻をしてしまう。
時間は距離と関係する。特に母にとっては距離は重要な問題だ。物語のはじめのころ、東京に着いたとき、母は東京にすぐに着いてしまうというようなことを語り、東京と故郷の広島の距離が縮まったことをうれしがっていた。しかし、この母は広島に帰る際、物語のはじめと異なり、東京と広島の「遠さ」を強調していた。自分に何かあっても、わざわざ広島に来なくても良い、と不吉なことを話す。広島は東京からは「遠い」のだから。
だが、この「遠さ」は、もちろん地理的な距離の遠さだけを意味するわけではない。上京して、息子や娘の家で厄介になって過ごした日々で、母が悟ったことは、自分たちと子供たちの「距離」の「遠さ」ではなかったか。広島に暮してきた自分たちと、東京で家族から離れて、自分たちの生活を営んでいる子供たちとの間に、はるかに「遠く」隔たった距離を感じたのだ。だから、母は帰るときに東京と広島の間の「距離」の「遠さ」を気にせずにはおられない。
親と子どもの間に距離が生じたのは、時間も原因なのだろう。離れて生活する時間が長くなればなるほど、それだけ距離が生れてしまったのだろう。家族とはいえ、この溝はどうしようもなく生じてしまうのだ。広島から東京までの移動時間は、技術でいくらでも縮めることができる。その意味では、東京と広島の間の距離は「近く」なった。だが、技術でも埋められない距離が、親と子どもの間にどうしようもなく生じてしまった。三男の遅刻というは出来事は、この遠くかつ決定的な距離を示しているのだ。汽車という技術が発展しても、縮めらることのできない両親との距離。その絶望的な距離に対し、耐えきれず、母のお葬式の途中でそっと抜け出して一人、涙するのだ。「時間」が生み出した絶望的な「距離」という主題を見逃すことはできない。
もう一つだけ、気がついたことをメモしておく。これも最後の場面。紀子が東京へ帰る汽車に乗っている。これは、『彼岸花』のラストシーンとほぼ同じ構図だ。しかし、『彼岸花』では、結婚した娘に会いに父(佐分利信)広島へ行く。つまり、汽車の進む方向がちょうど正反対なのだ。かたや広島から東京へ傷心のまま帰る。一方では、喧嘩別れした娘と再会する喜びに満ちあふれながら広島へ向かう。進む方向が異なれば、その記号の意味するところもまったく正反対と言える。同じ構図でありながら、こうまで異なる様相を提示する小津映画。驚くべきテクニックである。